
Artist Model Yu

—美は、束縛と解放の狭間に宿る—**
人間の身体が白い粉を纏うとき、その肌は世界から一歩退き、
「私」という個の記号を薄めながら、
どこか原初の光に還ろうとする。
白は始まりであり、終わりであり、
存在が形を得る直前の粒子の揺らぎを想起させる。
その白の静けさの中に、ふと一本の綱が横たわるだけで、
身体は一気に“現実”へと引き戻される。
綱とは何か。
それは力ではなく、境界である。
自由を拒むものではなく、むしろ自由が生まれる起点だ。
何も縛られていない者に自由は芽生えない。
自由とは、束縛の影に初めて輪郭を得る光のようなものだから。
白い粉が肌を覆うとき、身体は時の流れから切り離される。
だが綱が触れた場所だけは、
粉が微かに寄り、影が生まれ、
そこに「人としての重さ」が戻ってくる。
無垢と現実、永遠と瞬間――
その境界線が綱となり、身体に地図を描いていく。
哲学者は、存在を“投げ込まれたもの”と言った。
しかし、綱に結ばれた身体を前にすると、
むしろこう思うのだ――
人は生まれると同時に、
見えない綱でこの世界に「括りつけ」られたのではないか、と。
綱は、人を拘束しない。
むしろ「ここがあなたの始まる場所だ」と
静かに告げるだけだ。
そのうえで、そこからどう歩み出るのかを、
人自身に問うてくる。
白い粉の静謐な膜は、
身体を純化し、余計な語りを落とし、
一人の人間が持つ根源的な輪郭を露わにする。
そして綱は、その輪郭を“重さ”へと変える。
重さとは、存在の確かさだ。
世界に触れ、世界に触れられているという実感だ。
この二つが交わったとき、
身体はただの身体ではなくなる。
白は無限の象徴、
綱は有限の象徴。
その狭間に立ち尽くす姿こそ、
人間という矛盾そのものの姿なのだ。
だからこそ、そこには美が宿る。
完全でもなく、解放でもなく、完成でもない。
むしろ、永遠に完結しえない“途中”の美。
白と綱、その二つをまとった身体は、
この世界に生きることの不可思議と不可避を、
沈黙のまま語っている。
美しさとは、
到達点ではなく、
到達しえないことを知ってなお立ち続ける姿なのだ。
白い粉と綱に結ばれた身体は、
その真理を、ただ静かに体現している。

・

・

・
Artist Model Yu