
Art-model : Yu works
――見ること・見られることのあいだで
私は男性写真家である。
この一文を書くたび、どこかで言い訳をしているような気持ちになる。だが、それでも書かずにはいられない。女性ヌードを前にするとき、私の身体はすでに社会的な位置を与えられている。見る側であり、撮る側であり、そして疑われる側でもある。
撮影の前、部屋はいつも静かだ。光を確かめ、床に落ちた影の角度を見て、カメラを構える。そうした準備の時間は、私にとって儀式に近い。シャッターを切る前に、できるだけ多くの言葉を失っておきたいと思う。言葉はすぐに、身体を説明し、意味づけ、支配しようとするからだ。
モデルが衣服を脱ぐ瞬間、私は決してカメラを覗かない。視線を逸らすわけでもなく、凝視するわけでもない。ただ、そこに立っている。脱ぐという行為が、彼女にとってどれほど具体的で、取り消しのきかない動作であるかを、私は知っているつもりでいる。知っているつもりでいる、という言い方しかできない。
裸になった身体は、思っていたほど「ヌード」ではない。そこにあるのは、体温を持ち、呼吸する存在だ。わずかな動きで筋肉が緊張し、皮膚の表情が変わる。その変化を前にすると、私は「撮る者」としての立場を一瞬、見失う。見るという行為が、突然、危ういものになる。
私はポーズを指示しない。動かないでほしいとも言わない。身体は、止められた瞬間に嘘をつく。嘘というより、物になる。私は物ではなく、人を撮りたいのだと思う。もっと正確に言えば、人が身体である瞬間を撮りたい。
シャッターを切るとき、いつも少し遅れる。決定的瞬間を狙っているわけではない。むしろ、その瞬間が過ぎ去ったあとに残る、わずかな余韻を拾おうとしている。写真には写らないものの方が、いつも多い。それを承知で、私はシャッターを切る。
私は自分の視線を信用していない。男性として生きてきた時間の中で、どれほど多くのイメージを無自覚に内面化してきたかを思うと、とてもではないが、無垢な視線など持ち得ない。だから私は、欲望を消そうとしない。消えないものを、消えたふりで撮る方が、よほど危険だと思っている。
年齢を重ねた女性の身体を前にするとき、私は安心と不安を同時に覚える。若さの象徴としての身体は、私の視線を受け入れやすい。だが、時間を引き受けた身体は、こちらを拒む。しわやたるみは、説明を許さない。それらは、ただ、そこにある。私はその前で、写真家である前に、老いゆく一人の人間になる。
撮影が終わると、部屋にはまた静けさが戻る。衣服を身につけた彼女は、さきほどまでとは別の存在のように見える。その変化に、私はいつも戸惑う。私が撮ったのは、誰だったのか。何を記録したのか。答えは、写真の中にも、私の中にも、完全には残らない。
女性ヌードを撮ることに、私は今でもためらいを感じている。そのためらいが消えたら、私はこの主題を手放すだろう。見ることと見られることのあいだに生じる緊張が、私を写真の前に立たせ続けている。
私は女性ヌードを通して、女性を理解しようとしているわけではない。私が見つめているのは、自分がどのように見てしまうのか、その癖や限界だ。写真は、その限界を一枚の像として突きつけてくる。
今日も私は、カメラを手に取り、光を待つ。
見ることと見られることのあいだで、立ち尽くしながら。

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――見ること・見られることのあいだで
私は男性写真家である。
この事実は、撮影のたびに、私の身体のどこかを重くする。
カメラを手にすると、私はまず、言葉を置いていく。
身体について語るための言葉、
正しさや理屈、
免罪のための説明。
それらは、シャッターを切る瞬間には、いつも邪魔になる。
撮影の前、部屋は静かだ。
光が床を横切り、
壁にわずかな影を落とす。
私はその影の動きを見ている。
まだ、誰も撮ってはいない。
衣服が脱がれるとき、
私はカメラを覗かない。
見ることを急げば、
身体はすぐに像になってしまう。
私は像ではなく、
そこに在る時間を待っている。
裸の身体は、
思っていたほど「ヌード」ではない。
呼吸があり、
体温があり、
ためらいがある。
それらは、どれも写りきらない。
私はポーズを指示しない。
身体は、止められた瞬間に、
自分であることをやめる。
動きの途中、
重心が移るわずかな間に、
人は最も身体になる。
シャッターを切るのは、
いつも少し遅れる。
決定的な瞬間ではなく、
その余韻に、
私は反応している。
私の視線は、信用できない。
長い時間をかけて、
男性として刷り込まれてきた
無数のイメージが、
私の見ることを歪める。
それでも私は、
見ないふりをしない。
年齢を重ねた身体の前で、
私は写真家ではなくなる。
しわやたるみは、
意味を拒む。
それらは、
ただ、生きてきた時間として、
そこにある。
写真は、時間を止める。
だが、身体は止まらない。
過去と現在、
そしてこれからの時間が、
同時に滲んでいる。
撮影が終わると、
彼女は衣服を身につけ、
別の存在になる。
私は、
何を見ていたのか、
何を残したのか、
すぐには分からない。
この写真集は、
答えを示すためのものではない。
見ることと見られることのあいだで、
私が立ち尽くした痕跡である。
ページをめくるとき、
あなたもまた、
見ている側であり、
見られている側になる。


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