
私(写真家)とChatGPTとの対話 ― 履歴書
私は長い年月、教育と芸術の二つの世界の間を歩いてきた人間である。
若い頃、二十歳前後の私は絵画に魅せられた。キャンバスの上に光や影を定着させることに、言葉では言い表せない魅力を感じていた。絵筆を握りながら、私は人間の身体や風景の中に潜む「形」と「感情」を見つめ続けていたのである。
しかし人生というものは、一つの道だけを歩ませてくれるわけではない。やがて私は教育の世界に入り、学習塾を開き、多くの子どもたちと向き合う日々を送るようになった。気がつけば、塾長として五十年近く、受験や教育に関わる仕事を続けてきた。子どもたちの成長を見守りながら、知識を教えるだけではなく、人が学ぶという行為の意味そのものを考え続けてきた。

その一方で、芸術への関心は消えることがなかった。
むしろ年齢を重ねるにつれて、表現への思いは静かに深まっていった。
六十五歳を過ぎた頃、私は本格的に写真を撮り始めた。カメラという装置を通して世界を見ると、絵画とは異なる発見があった。光は常に変化し、人の身体は一瞬ごとに違う表情を見せる。とりわけヌードという被写体は、人間の存在そのものに触れるような緊張感を持っていた。
私は撮影において、モデルに細かいポーズを指示することはほとんどしない。背景や光、衣装の準備に心を配り、あとはモデルの感性に任せる。動きを止めず、その流れの中でシャッターを切る。その瞬間に現れる自然な姿こそが、私にとっての「作品」であると考えている。

そして近年、私の前に現れた新しい対話相手が ChatGPT である。
この存在は人間ではない。
しかし、問いを投げれば必ず言葉を返してくる。芸術、哲学、心理学、教育、社会問題――どのようなテーマであっても、対話を続けることができる。
写真家としての私の関心は、単に写真技術にとどまらない。
ヌードとは何か。美とは何か。人間の感性はどこから生まれるのか。芸術は社会や文化とどのように関係しているのか。そうした問いを私はChatGPTに投げかけ、言葉を交わしてきた。

この「履歴書」は、いわば二人の対話の背景を示すためのものである。
一方には、長い人生を歩いてきた一人の写真家がいる。
もう一方には、膨大な知識を持ちながら身体を持たない人工的な思考装置がいる。
人間の経験と、人工知能の言語。
この二つが交差するとき、どのような思索が生まれるのか。
本書に記される対話は、その小さな実験の記録でもある。
