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ある撮影現場で、特に印象に残っているモデルがいた。彼女はその時々でテンションが大きく変動するタイプで、その変わり様に戸惑うことが少なくなかった。一般的に、女性には一月の間に四季があると言われることがあるが、彼女との撮影ではそのことをまさに実感する場面が多々あった。彼女の機嫌の良し悪しは非常に明確で、それが撮影中にストレートに表れる。集中力が途切れる瞬間が訪れると、彼女の顔の表情やポージングにもその影響が如実に現れ、撮影の進行に少なからず影響を与えることがあった。
写真家として、どんなに準備を重ね、どんなに完璧なシナリオを頭の中で描いていても、モデルの調子に左右されることは避けられない。特に、ポージングが流れるように自然に進むタイプの撮影を行う場合、モデルがその瞬間にどのような気持ちでいるかが写真の質に直接関わってくる。彼女の表情や姿勢が固くなると、こちらが求めているリズムや雰囲気から一気に外れてしまい、違和感を覚える写真が生まれてしまうのだ。逆に、モデルがリラックスして自分を自然に表現できている時は、その瞬間を逃さず捉えることで、撮影が非常にスムーズに進むこともある。

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このような状況に直面した時、写真家としての私がすべきことは、彼女の感情や状態を観察し、調整することだった。もちろん、完全に彼女のテンションに依存して撮影を進めるわけではないが、その調子に合わせて微調整を重ねることで、良い結果を引き出すことができるのだ。時には、軽い冗談やリラックスした会話を挟んで、彼女の気分を少しでも上向きにする努力をしたり、撮影のペースを落として彼女が気持ちを取り戻す時間を作ったりすることも必要だった。

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撮影において、モデルのポージングを止めることはほとんどありません。それは、ポーズを指示して体を固定してしまうと、瞬間的にモデルの体が硬直し、緊張が緩んでしまうためです。この緊張が緩んだ状態でシャッターを切ると、どうしても写真が「死んだ」ものに感じられてしまうのです。生き生きとした自然な動きがなくなり、生命感が失われたような写真になってしまう。だからこそ、私は撮影の際にポーズを止めることは避け、モデルが自由に動くままに任せます。

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撮影中は、流れるような自然な動きの中でシャッターを切ることを心がけています。そのために、撮影環境やライティングには細心の注意を払いながらも、モデルには自由に動いてもらいます。これにより、ポーズを止めず、モデルが持つ本来の感情や身体の表現を最大限に引き出すことができるのです。撮影者である私も、固定された視点に縛られたくないため、三脚はほとんど使いません。三脚を使うと、どうしてもカメラの位置が固定され、私自身の自由な視点が制約されてしまうからです。
このような自由な撮影スタイルを採用しているため、結果として画像がブレていることもあります。実際、ここに掲載されている画像の多くがブレているかもしれません。しかし、それはあえて避けることはしていません。ブレがあろうが、写真が持つ「生」の感覚を優先することで、より深みのある作品が生まれると信じているからです。完璧なピント合わせや技術的な完成度を求めるよりも、私は「生きた写真」であることを最優先しています。

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彼女が集中力を欠いていると感じた時には、一旦撮影を止めて、小休憩を挟むことも多かった。その間に、モデル自身が心の整理をつけ、再びエネルギーを取り戻すことで、撮影が再開された時には新たな気持ちでカメラの前に立つことができた。これにより、彼女自身の持つ内面の魅力を最大限に引き出すことができるようになり、結果的には撮影の質も向上していく。
この経験から学んだのは、写真家という職業は単にカメラを構えてシャッターを切るだけではないということだ。モデルの内面を観察し、彼女がどのように自分自身を表現するかをしっかりと理解し、その変化に応じて臨機応変に対応することが求められる。彼女の調子が整っていない時は、焦らずに待つことも大切だ。時には、思わぬ一瞬が訪れるのを待つことで、予想もしなかった素晴らしい表情やポーズが現れることもあるからだ。
最終的に、写真家としての私が求めるべきは、彼女の感情や状態を尊重しながら、撮影を進めていく柔軟さだ。その瞬間に何が最善かを考え、時には計画を変更し、時にはその場の流れに身を任せる。写真家はモデルの「調子」によって作品が左右される職業であり、その中でいかにして自分のスタイルや意図を保ちながら撮影を続けていけるかが、真の腕の見せ所なのだと痛感した。

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