静かな愛と秋の調べ
〜森鴎外『雁』より〜
秋は、さよならの季節。
風はやさしく木の葉を払い、空は高く澄み渡る。
夕暮れの紅(あか)に染まる街角で、ふとした気配に振り向くと、
そこには、まだ言葉にならない「想い」がそっと佇んでいる。
そんな空気のなかで読む物語がある。
森鴎外の『雁』。
それは、激しい情熱よりも、淡くにじむような愛を描いた短篇である。
秋という季節が、その愛の形をいっそう際立たせる。

無縁坂にて──声にならなかったまなざし
東京、本郷。
古びた石畳の坂道を、ひとりの女が下駄の音を響かせて登る。
その名は、お玉。
しとやかながら、どこか哀しみを湛えた面差し。
彼女は高利貸し・末造の妾として日々を送っている。
けれど彼女の胸の内には、別の光があった。
──岡田という名の青年。
隣家に住む、学生。
声を交わすこともなかったが、
日ごと彼の姿にまなざしを送ることが、彼女のひそかな日課となっていた。
その想いは、木の葉が風に乗って舞い落ちるように、
ひとひらずつ、お玉の心に降り積もってゆく。
それは恋というより、祈りに近い。
報われることも、語られることもなく、ただそこに、ある。
秋の坂道は長く、静かだ。
午後のひかりが落ち、影が長く伸びる。
その中を、誰にも届かない愛が通り過ぎてゆく。
青年・岡田──すれ違う季節のように
岡田は若く、知的で、まだ世界の重さを知らない。
勉学に励み、将来を夢見る彼の目には、
お玉の視線も、彼女の心の震えも、きっと映ってはいなかった。
けれど、ある夕暮れ。
無縁坂の途中で、ふたりはすれ違う。
ほんの一瞬、視線が交差する。
沈黙のまま、言葉にならなかったその刹那。
まるで風が頬をかすめるように、
ひとときの予感だけを残して、彼は去っていく。
そして彼女も、何も言わずに、ただ見送る。
——秋の黄昏のように。
美しくて、切なくて、何も始まらないまま終わってしまう瞬間。
雁が飛ぶ空に
この物語に『雁』という名がつけられたのは、偶然ではない。
雁は渡り鳥。
群れをなし、列を成し、遥かな空を飛んでいく。
でも、よく見てみれば、その群れのなかに一羽だけ、
列から離れて飛ぶものがいる。
それは──孤独な想い。
お玉もまた、群れからはぐれた雁のようだった。
声を上げることもできず、
誰かと寄り添うこともできず、
ただ、じっと、見上げるばかり。
その目に映る空には、
飛び去る背中しか見えない。
けれど、愛とは本来そういうものなのかもしれない。
語られないことのなかに、
伝わらない想いのなかに、
本当の美しさが宿っていることもある。
秋の光景に重ねる記憶
秋の風景には、何かが宿っている。
それは過去かもしれないし、
誰かの声にならなかった願いかもしれない。
銀杏並木の下を歩いていて、ふと胸が締めつけられるのは、
木々の揺らぎのなかに、
お玉の微笑みが見えるからかもしれない。
落ち葉の絨毯を踏みしめるたび、
かすかに響く下駄の音が、
無縁坂を登る彼女の姿を思い出させる。
光と影、音と静寂。
秋の一瞬一瞬が、『雁』の一節と重なってゆく。
静かな愛が残すもの
物語は、大きな出来事を描かない。
だが、それゆえに美しい。
ひとりの女性の、ただひとつの眼差し。
それだけが、この短編を支えている。
それは秋のような愛だ。
激しくなく、自己主張せず、
ただそっと降りてきて、
気づかぬうちに心の奥にしみ込んでいる。
『雁』を読み終えたとき、
空を見上げたくなるのは、きっとそのせいだ。
そこには、飛び去った雁の群れがいる。
そして、地上にはまだ、
ひとりの人の想いが、静かに残っている。

あとがきにかえて
このフォトエッセイは、
秋という季節と、
森鴎外の物語『雁』と、
静かな愛の気配を重ねながら綴った。
読む人それぞれに、思い出す「誰か」がいるだろう。
声にならなかった手紙、
差し出せなかった手、
すれ違ってしまった日。
それでも、愛は消えない。
秋が来るたび、
その気配が胸に戻ってくる。
そうして、私たちはまたページを開く。
静かな愛と、秋の調べを聴くために──
フォトエッセイ「Pat Metheny – And I Love Her」
フォトエッセイ「雨の夕暮れ野分 – 夏目漱石」