フォトエッセイ「繊細な境界線を、慎重に、あるときは大胆に、探る行為」

被写体との信頼関係と尊重

ヌード撮影では、モデルとの信頼関係がなければ成立しません。写真家は撮る前から、撮影のコンセプト、目的、どのような表現を目指すのかを丁寧に説明し、モデルの了解と安心を得る必要があります。

撮影中に考えることとしては:

  • モデルが安心していられるか。
  • 恥ずかしさを和らげ、自然な感情が引き出されているか。
  • 撮影者のまなざしが「消費する眼」になっていないか。
  • 「ポーズ」ではなく「存在」をどう引き出すか。

写真家によっては、モデルの呼吸や心拍に意識を合わせ、同じリズムで空間に「居る」ことを大事にする人もいます。

社会や性の文脈を意識すること

女性のヌードを撮るという行為は、歴史的にも社会的にも、さまざまな文脈を背負っています。

写真家によっては、次のようなことを意識しています:

  • 「見る者の視線(male gaze)」から自由なヌードとは何か。
  • 被写体を「主体」として写すとはどういうことか。
  • ポルノグラフィーとの違いはどこにあるか。
  • ヌードを通して何を語るのか。個人の尊厳、老い、性、母性、自由、傷跡…など。

つまり、ただ「きれいだから撮る」というよりも、「何を見せたいのか」「何を伝えたいのか」という思想が不可欠になります。

自己との対話

ときにヌード撮影は、写真家自身の内面と向き合う行為でもあります。
なぜ自分はヌードに惹かれるのか。
自分は被写体にどういうまなざしを向けているのか。
無意識の中にある「欲望」や「怖れ」を自覚することもあります。

被写体の身体を通じて、自分の内面の闇や光を見つめる――これはとても個人的な営みでありながら、深く普遍的でもあります。

「写真家が女性ヌードを撮るとき、何を考えているのか?」
それは、他者との境界を丁寧に扱いながら、美と感情、身体と言葉にならないものの間にある「なにか」を探っている、そんな行為かもしれません。
あるいは、「欲望」と「倫理」、「美」と「生々しさ」、「表現」と「消費」――その繊細な境界線を、慎重に、あるときは大胆に、探る行為とも言える

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Tetsuro Higashi

I was born and brought up in Tokyo Japan. Now I teach mathematics . At age 20 I took up painting. I took up taking photos before 5 years. I have learned taking photos by myself . I grew up while watching ukiyo-e and have learned a lot from Sandro Botticelli , Pablo Picasso. Studying works of Rembrandt Hamensz . Van Rijn, I make up the light and shadow. * INTERNATIONAL PHOTO EXPO 2015 / 26 February ~ 31 March Piramid Sanat Istanbul, Turkey * World Contemporary Art 2015 Nobember Piramid Sanat Istanbul, Turkey * Festival Europeen de la Photo de Nu 06 ~ 16 May 2016 Solo exposition at palais de l archeveche arles, France *2016 Photo Beijing 13~26th October *Sponsored by Tetsuya Fukui 23 February - 02 March 2019 Cafe & Bar Reverse in Ginza,Tokyo,Japan *Salon de la Photo de Paris 8th – 10th – 11th 2019 directed by Rachel Hardouin *Photo Expo Setagaya April 2020 in Galerie #1317 *Exhibition NAKED 2020 in Himeji    Produce : Akiko Shinmura      Event Organizer : Audience Aresorate December 1th ~ 14th  2020

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