フォトエッセイ「異邦の肌、異邦の声」

生まれたときから、私は日本にいた。
けれど、日本のどこにも、自分の影がきちんと落ちる場所を見つけられずにいた。

アイヌの父の声は、山の湿った空気のように静かで、あたたかかった。
ポーランドの母のまなざしは、冬の朝焼けに似ていた。透き通る白に、微かな紅の匂いが混じっていた。

家の中にはふたつの風が流れていた。
ひとつは山を越えてカムイの声を運ぶ風。もうひとつは、遠くヨーロッパから海を越えて届いた、遠い祖国の風。
私はそのあいだに横たわって、どちらにも属しきれない、けれどどちらも深く愛するようになっていった。

学校に入ると、私の名前はつまずきの石になった。
読みづらい名前だね、変わった顔立ちだね、と、子どもたちは無邪気に言葉を投げる。
その一言一言が、小さな針のように心に刺さっていった。痛みは、誰にも見えなかったけれど、確かにそこにあった。

教室の窓から見える桜の花も、運動場を走る足音も、どこか他人の国の風景のようだった。
みんなが一斉に笑うとき、私は少し遅れて笑った。
笑いながら、「私の笑いは、この輪のなかにあるのか?」と問い返している自分がいた。

父の実家に行くと、熊の毛皮が吊るされ、火を焚く煙のにおいがした。
母の郷里から届くポーランド語の手紙には、知らない文字と温かい言葉が踊っていた。
そのどれもが、私にとっての「ふるさと」だったのに、日本の町ではそれらは、まるで“異物”のように扱われた。

ある日、鏡の中の自分に向かって、ふとつぶやいた。
「わたしは、どこにいるのだろう」
その問いは、いまも胸の奥で、静かにこだまする。

けれど、大人になった私は、あの問いを抱きしめる術を知った。
異邦人であること。それは、ただ「他者」になることではなく、複数の世界を生き、複数の声を聞き分けることのできる、ひとつの“詩”のような生き方なのかもしれない。

風は、ひとつの方向だけに吹くわけではない。
海と森をまたぎながら、音もなく、どこかへ向かって流れていく。
その風のなかに、私はいる。
私の中に、父の声と母の祈りが息づいている。
それで、いい。

どこにも属さない、ということは、どこにでも根を張れるということ。
異邦人であるとは、世界のあらゆる片隅に、自分のかけらを見つけていく旅でもあるのだ。

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Tetsuro Higashi

I was born and brought up in Tokyo Japan. Now I teach mathematics . At age 20 I took up painting. I took up taking photos before 5 years. I have learned taking photos by myself . I grew up while watching ukiyo-e and have learned a lot from Sandro Botticelli , Pablo Picasso. Studying works of Rembrandt Hamensz . Van Rijn, I make up the light and shadow. * INTERNATIONAL PHOTO EXPO 2015 / 26 February ~ 31 March Piramid Sanat Istanbul, Turkey * World Contemporary Art 2015 Nobember Piramid Sanat Istanbul, Turkey * Festival Europeen de la Photo de Nu 06 ~ 16 May 2016 Solo exposition at palais de l archeveche arles, France *2016 Photo Beijing 13~26th October *Sponsored by Tetsuya Fukui 23 February - 02 March 2019 Cafe & Bar Reverse in Ginza,Tokyo,Japan *Salon de la Photo de Paris 8th – 10th – 11th 2019 directed by Rachel Hardouin *Photo Expo Setagaya April 2020 in Galerie #1317 *Exhibition NAKED 2020 in Himeji    Produce : Akiko Shinmura      Event Organizer : Audience Aresorate December 1th ~ 14th  2020

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