
「彼女が黙って抱えていた時間」
部屋の隅に光が落ちていた。
午後二時、冬の太陽。
窓から差し込む斜光が、白いシーツの上に、柔らかく影を描いている。
彼女はその光の中に立っていた。
裸であることを、彼女自身が一番よくわかっていた。
だが、恥じらいも誇りも、そこにはなかった。
あるのは、ただ「そこにいる」という静かな意志だけだった。
フォトグラファーである僕は、シャッターを切らずにいた。
ファインダー越しに見る彼女の姿は、あまりにも“完成されすぎて”いて、逆に、写すことを躊躇わせた。
「どうして、撮らないの?」
彼女が言った。声はごく自然だった。
裸でいることも、部屋に沈黙があることも、すでに前提のように呼吸していた。
「…まだ、君が何を語ろうとしているのかが、わからないから」
そう言った自分の言葉に、僕は少し驚いた。
写真を始めた頃の感覚を思い出していた。
ただ美しいから、撮る。
ただ露出が良かったから、撮る。
でも今は違った。
写すという行為は、“語られるもの”との交信でなければならなかった。
彼女は少しだけ微笑んだように見えた。
その微笑みさえ、写すにはまだ早い、と僕は感じた。
裸というのは、肌が露わになることではない。
本当の裸は、沈黙の中に滲む”気配”なのだ。
僕はカメラを下ろした。
「もう少し、そのままでいてくれる?」
彼女は頷いた。
それは“ポーズ”ではなかった。
ただ、そこに存在してくれている──そのこと自体が、ひとつの物語だった。
数分後、ようやく一枚、シャッターを切った。
レンズ越しに見えたのは、裸の女性ではなく、“誰かがかつて見失った何か”のようだった。
過去の記憶、遠い別れ、言えなかった言葉──それらが、彼女の肩のあたりに、ふっと宿っていた。
写真には、彼女の肌も、目線も写っていた。
だが、本当に写っていたのは、
「彼女が黙って抱えていた時間」だったのかもしれない。

──写真は、物語の断片であればそれでいい。
あとは、見る人が補ってくれる。
その一枚を見た誰かが、かつての恋人を思い出すかもしれない。
あるいは、過去の自分と向き合うかもしれない。
そうやって、彼女の“名もなき姿”が、見る人の記憶の中で輪郭を持ち始める。
そうして初めて、
その写真は「完成」に近づく。