「こころ – 夏目漱石」
私は、あの日のことを思い返すたび、鎌倉の海辺の波音や夕暮れの斜陽を連れてくる。夏の暑さがまだ残る季節、私は海水浴客の波を避けながら、砂浜をゆるりと歩いていた。ふと浜辺の小屋の陰に一人の男が佇んでいるのを見つけた。風を含んだ髪、沈んだ眼差し。その人物が後に「先生」と呼ばれることになる人だと、私はまだ知らなかった。
最初、私はただ興味本位でその人物を観察していた。彼はひっそりと、他人と群れず、あまり言葉を交わそうとしないようだった。だが、不思議と私はその沈黙に惹かれた。何か言いたげで、しかし何も語らないその空気が、むしろ存在の重みに思えた。私も大学生として漠然と日々を送っていたが、彼の近くにいると、自分の内面が揺さぶられるような気がしたのだ。
やがて数度の偶然が重なり、私は先生と会話をするようになる。東京に戻った後も手紙を交わし、会う機会をうかがった。「先生」は物静かで思慮深く、しかしどこか翳(かげり)を伴っていた。彼の話の端々に、過去の苦悩や後悔の影がちらつく。しかし本人はそれを決して語ろうとはしなかった。ただ黙って、私を見つめ、その目の裏にあるものを私自身に見させようとするようであった。

時は移り、私は卒業を迎えることとなる。故郷へ帰る折、病を抱える父のことが気掛かりであった。家族は将来について問うてきた。私は迷い、答えを見いだせずにもがいた。そんな折、私は先生に自分の進路を相談したくなり、便箋を取って宛てた。しかし、返信として私の手に届いたのは、思いもよらぬ重みを持った封書だった。それは、いわば先生の「遺書」の形式をとったものであり、中に綴られていたのは、長年封じてきた彼の心の告白だった。
封を切ったそのとき、私は身震いした。「先生」の人生は、私が想像するよりずっと複雑で、傷深かった。彼は若き日に、友人Kとの関係に深い悔恨を抱えていた。友人として、愛する女性として、彼とKとで交錯する思いがもたらした葛藤。そして、その裏切りがKを死へと追いやった可能性を秘めていると、先生は告白していた。
先生は、Kとお嬢さん(後の妻)との間で揺れ、己の利害と情の狭間で足を踏み外したのではないか。彼は自らを責め、贖罪を求めるように、静かに終わりを考えていた。遺書の文面には、「妻にはこのことを言わないでほしい」との願いも書かれており、その深い配慮と苦しみに、私は涙を抑えることができなかった。
その遺書を読み終えたとき、私はまさに列車の中にいた。雨粒が窓を打ち、車内は揺らめいている。私は父の病床を思い、先生の過去を思い、どこにも安らぎを覚えなかった。列車の速度が心拍のように私を揺さぶる。やがて車両の端に立ち、顔を窓にくっつけて、灰色の景色を見つめた。目的地がどこであれ、私はこの手紙を胸に抱えて、その重みに耐えなければならなかった。
帰京後、私は遺書を抱えて先生の元を訪ねる。辺りは夕闇に包まれていた。先生は静かに立っており、言葉少なに私を迎えた。私は声を震わせつつ遺書の一部を読み返した。「私はもう、どうすることもできない」。その言葉は、彼の生と死があまりに近く、絶望と希望が交錯するような響きを持っていた。
先生は静かに語り出した。「私は、あなたに告白しなければならなかった。長い間、心の奥底に封じてきたこの罪と苦しみを」――そう言いながらも、その声には疲労と孤独、そして愛するひとの面影も感じられた。私は言葉が出なかった。ただ、彼の痛みがその場に在ることを、私自身の胸に刻みつけるしかなかった。
その夜、私は深い眠りに落ちたかどうかも分からなかった。夢の中でも、波音は遠く、灯りはすぐに消えていた。翌朝、私は目覚めて、先生のことを思い起こすと、胸にぽっかりと穴が空いているような感覚があった。かつてあの海辺で感じた興味や憧れは、遺書を通じて、痛みと後悔の重みへと姿を変えた。
振り返れば、私は「先生」と呼んだあの人物を、長らく見知らぬ他人のように見つめていた。彼の沈黙を解きたいと願いつつも、解けない鎖のように絡みついた過去の重さに気付きもしなかった。そして今、私はその鎖を一片でも引き裂こうとする者となった。
物語がこのような結末に至ったのは、私だけでなく、読者ひとりひとりが自らの「こころ」と折り合いをつけながら読むからだろう。秘密と告白、裏切りと贖罪、愛と孤独は混ざり合い、単純な答えを拒む。人の心は、常に静かな波紋を持ちつつ、深い闇を抱えている。
このようにして、『こころ』は、私という語り手を通して、先生という一人の人間の内奥へと深く潜っていく。海辺の出会いから始まった物語は、遺書という一点を中心に、私と読者の心に問いを投げかける。愛すべき人を前に、自分は何を選び、何を捨て、何を語らずに生きるか。私たちはその問いから、容易に逃れることはできない。
私は今、静かにこの物語を閉じる。しかしあの日の鎌倉と、先生の遺書の余韻は、私の胸に長く残り続けるだろう。そして、あなたがこの物語を読むならば、どうかその余白を、あなた自身の「こころ」で満たしてほしいと願う。

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