醜い自分、恥ずかしい自分

作品というのは、百人に1人とか、千人に1人共感者がいれば

それだけで十分(作者としては)満足できる話で、

まして、ネットが広がることによって、世界中の人の目に晒されるわけで、

千人に1人としても、ネットユーザーが20億人いれば、

この地球上に200万人の共感者がいることになりますね。

僕の作品なんかは、ちょっと偏屈な変わり者にしか伝わらないことも多く、

ネガティブになることもありますが、

それでも、FBだけでも2万人のフォロアーがいます。

これから写真を始めてみようという人がいるなら、

上手な写真を撮ろうとか、他人に褒めてもらおうとか、考えず、

ただひたすら醜く恥ずかしい写真を撮り続けたらよいと思います。

例え、モデルを撮ろうが風景を撮ろうが、作品は「自画像」ですから、

醜い自分、恥ずかしい自分と向き合った方が良いです。

アートの世界では、醜いも美しいもほぼ同じ意味を持ちます。

知っておきたいGoogleの脅威

知っておきたいGoogleの脅威

僕が、ソニーのαシリーズ(カメラ)を検索したとします。

その後、しつこくαシリーズのコマーシャルとαと競合するカメラの

コマーシャルが入り続けます。

それは「検索エンジン」が過去歴を記憶して

マイブームを引き起こしているわけです。

物を買わされることであればよいのですが、

ユーチューブでも同様なことが起こります。

音楽やスポーツであれば”罪”はないのですが、

社会問題や政治や経済の話となれば別問題です。

嫌韓を話題にするニュースを見れば、

それに追い打ちかけてくるようなニュースが次々と表示されるようになる。

そうすると、いつしか極端な思想に洗脳されていくようなことになる。

コロナの対処に関する問題、アメリカの差別の問題、米中対立とか、

良識的なリベラルな人たちの存在が薄れていき、

極論ばかりがまかり通り、激しい対立ばかりが放映される。

そして、また炎上するという悪循環が生じている。

メディアの在り方を論じる前に、

今の世は、”Google帝国の支配下にある”ということを

しっかり知っておきたいです。

  ・・それが分かっているから、中国はGoogleを入れませんでした。

コロナ・・

コロナと共存できそうだ・・

コロナとの付き合い方が分かってきたようだ。

基礎疾患のある老人、もしくは、そのような老人が近くへ居る者や

施設・病院などへ勤務する者・訪問する者が気を付ければそれで良いこと。

出来る限り感染しないように(パンデミックにならない程度に

徐々に感染すれば良いこと)、それだけ・・

世代色々・・

「平和を続けること」に関しては、

個人による差異は当然のことながら、

それよりもむしろ、世代による「特徴」が気になっている。

戦争体験者は平和であることの大切さ、戦争の悲惨さを説く。

(このことに異論をはさむ余地はない)

その次の世代、団塊の世代は ”負けてよかった戦争” を説く人たちが多い。

(負けてよかった戦争というなら、

お国のためと信じて戦死した人は救われないが)

負けてよかったとか、当時の状況を鑑みれば致し方なかったとか、

平和が続いてるのだから、今の自衛隊のままでよいとか・・

そういう「受け身」の思考をする人たちは、

また同じことが起これば、致し方なかった・・というに違いない。

民主主義も平和も勝ち取っていこうとする思考回路がない。

50代後半からはバブル世代。

金さえあれば何でも手に入ると思った”勘違い世代”

立派な人も多いが、くそオヤジどもが溢れる。

今の40代になると、団塊世代の子供たちである。

私個人としては、この世代の人たちにもっとも好感が持てる。

民主主義という概念がしっかり身に付いているような気がする。

今の30前後の世代。

環境問題がグローバルな政治と直結していることが分っていても、

その政治を変えていこうとする”志”が感じられない。

また、良くも悪くも「戦争と平和」という対立概念がない。

既に、70年間、幸運にも世界を巻き込むような

大きな戦争はないことからしても、”自然な感覚”なのだろう。

また、男か女か・・というような二元論的思考をする者も少なくなってきている

  ・・・この傾向には未来がある。

この写真に関して・・

編集過程で青が浮き上がるような効果をかけたこともあり、

肌の下の血管が見えるようになります。

こういう、ちょっと偏執的なリアル感も良いかな?と思って。