
「お尻に目が行くとき」
西洋美術史の中でも、女性の背面像は繰り返し描かれてきた。ティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』、ルーベンスの豊満な裸婦たち、近代ではエゴン・シーレの挑発的な後ろ姿。そこにあるのはエロティシズムだけではなく、生命感と存在のリアルが混じり合った「人間のフォルム」だ。
日常の視線でも似たような瞬間がある。例えば、街中で偶然すれ違った人の後ろ姿に、何か惹かれて振り返りそうになることがある。別にいやらしさを求めているわけではない。けれど、形、リズム、重心、そのすべてに「人間らしさ」が凝縮されているとき、視線は抗えない。
そして私は、自分が見ているのが「お尻そのもの」ではなく、その奥にある「フォルムと存在の魅力」だということに気づく。女性の身体に対する敬意、美しさへの素直な感動。芸術がそれを許すのなら、日常の中でも私たちはもっと素直に、人間の形を愛していいのかもしれない。
もちろん、視線には責任が伴う。無自覚なまなざしは暴力にもなり得る。しかし、見つめるという行為が、理解や感動の入り口であるのもまた事実だ。芸術に学ぶなら、「見ること」はもっと誠実であっていい。
お尻に目が行くとき、それは「美しさに出会った瞬間」なのかもしれない。そしてその視線が、単なる欲望で終わらず、理解と感謝へつながっていくのなら――私たちは、もっと自由に、もっと深く、「見る」ことができるのではないだろうか。




