「お尻に目が行くとき」

「お尻に目が行くとき」

西洋美術史の中でも、女性の背面像は繰り返し描かれてきた。ティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』、ルーベンスの豊満な裸婦たち、近代ではエゴン・シーレの挑発的な後ろ姿。そこにあるのはエロティシズムだけではなく、生命感と存在のリアルが混じり合った「人間のフォルム」だ。

日常の視線でも似たような瞬間がある。例えば、街中で偶然すれ違った人の後ろ姿に、何か惹かれて振り返りそうになることがある。別にいやらしさを求めているわけではない。けれど、形、リズム、重心、そのすべてに「人間らしさ」が凝縮されているとき、視線は抗えない。

そして私は、自分が見ているのが「お尻そのもの」ではなく、その奥にある「フォルムと存在の魅力」だということに気づく。女性の身体に対する敬意、美しさへの素直な感動。芸術がそれを許すのなら、日常の中でも私たちはもっと素直に、人間の形を愛していいのかもしれない。

もちろん、視線には責任が伴う。無自覚なまなざしは暴力にもなり得る。しかし、見つめるという行為が、理解や感動の入り口であるのもまた事実だ。芸術に学ぶなら、「見ること」はもっと誠実であっていい。

お尻に目が行くとき、それは「美しさに出会った瞬間」なのかもしれない。そしてその視線が、単なる欲望で終わらず、理解と感謝へつながっていくのなら――私たちは、もっと自由に、もっと深く、「見る」ことができるのではないだろうか。

終末のイメージと向き合う

終末のイメージと向き合う

「このような悲惨な終末的なイメージを受け入れることができる人は、達観した精神を持ち合わせる人か、心底、楽観的な人かもしれない……」と、ふと思った。

しかし、そう考えた次の瞬間、むしろこう思わずにはいられなかった。
本当は、そういう人たちは、すでに何かを諦めてしまっているのではないかと。

凱旋門賞 イングランド生まれのディープインパクトの孫娘

10月5日(日)、フランスで開催される凱旋門賞について

私は、スピードシンボリが現役だった頃からの競馬ファンです。
日本馬が凱旋門賞に挑戦し続けて、もう50年近くになりますが、いまだに勝利を手にしていません。

ですが、今年こそチャンスかもしれません。

有力な3歳馬が出走予定で、斤量面で大きなアドバンテージがあります。
加えて、好天が続いており、馬場状態も良好。
時計が出やすいコンディションになりそうです。

私の記憶では、日本馬のこれまでの最高成績は2着が3回、3着が1回。
やはり大きな壁となっているのが、開催地ロンシャン競馬場の馬場状態です。

日本の芝コースと比べると、ロンシャンの馬場は非常にソフトで、力のいるタフなコンディション。
しかも高低差があり、時計のかかる展開になりがちです。

日本の芝はというと、気候の影響もあって芝の根が浅く、馬場は全体的に硬めでスピード決着になりやすい。
一方、ロンシャンのようなヨーロッパの馬場は、緯度が高く寒いため芝の根が深く、地面は柔らかく長めの芝が特徴です。
パリの公園を歩くと、足元からその違いがよく分かります。

今年はイングランド生まれ、ディープインパクトの孫娘も出走予定とのこと。
どんな走りを見せてくれるのか、今から楽しみでなりません。

(彼の)邪魔だけはしたくない、最期だからね 「遠くへ行きたい」

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一昨日の夕方、

70年来の友人から電話があり

「元気かよ・・」

僕が「うん」と言うと、

(彼は)しっかりした声で

「骨髄性○○○になっちゃって、2,3週間しか持たないかもしれない」

「薬が効けば、3か月くらいかな、年は越せそうにない」

小1からの同級生でもあり

僕が「俺にできることはあるか?」と言ったら

「ありがとう・・」

そこで電話は切れた。

面会謝絶状態だからね、見舞いにも行けない。

俺に何が出来るんだろう・・

などと思いつつ

(彼の)邪魔だけはしたくない、最期だからね。