貴重な感性を具現化していない

作品撮りというのは「モデルと私にコラボ」だということは私にとっては永遠の命題のようだ。 これだと思う作品を生み出すには、私の力だけではどうにもならない「運」に左右されることも致し方ない。 これまで、多くの大切な機会を与えられて、その中でどれほどまでに実現できたのか、失敗しているのか、その過程は定かではない。 失敗したことはたくさんあるのだろうが、その多くは忘れ去られ、上手くいったときのみを過大評価してきたのかもしれない。 貴重な感性を具現化していないような気がしてならない。 それは、絵画であれ写真であれ・・

生きることは厄介だし、難しい

今、私は人生最大の岐路に立たされているような気がしてならない。 50年続けてきた仕事に終止符を打つかどうか、迷っている。 諸事情あって、自分が望むようにはなかなかいかないこともあるし、お金の問題も絡んでくる。 私の残された時間も限られていることも承知している。 やりたいことをやり切ってこの世を旅立ちたいと考えていることが、どうも思い通りにはいきそうにない。 一度でもよい時を味わってしまうと、その時のことを忘れられず、再度その状況を再現したいと渇望する。 自分がこうありたいと思うことが現実化しないと、焦りと共にある種の失望感も出てくる。 何歳になっても、生きることは厄介だし、難しい。

「マッチングアプリ」と「お見合い」

マッチングアプリで出会って結婚するって、昭和の時代のお見合いみたいなことですが、当時(昭和)は見合い結婚するってのは手堅いことでしたが、出会いというのが他者が見繕ったものであり、恋愛するっていう過程がないわけで、なんだか不自然さはありました。 マッチングアプリもお見合いも互いの属性が合えば?という過程を経てることで、今も昔も変わりません。

僕なんかは、親兄弟から見ればまったく属性の合わない同士の結婚をしたわけで、勘当されるわなんやで、半世紀近く経とうとしてる現在でも、そのシコリはしっかり残っているわけです。 周囲や親兄弟から歓迎される結婚って、へそ曲がりの僕には無理だね。