
異邦の肌、異邦の祈り
幼いころ、わたしは鏡の中の自分を、他人のように見つめていた。
黒い瞳は真っ直ぐにこちらを見返し、頬骨の高い輪郭がどこか険しかった。肌は淡く白く、母の手のひらのように柔らかだったが、髪は太く、濃く、目のまわりにはごく淡く、緑がかった色素が浮かんでいた。
わたしの顔は、どちらの民族にとっても、少しばかり“異質”だった。
その異質は、日本という国において、ときに軽んじられ、ときに過剰に扱われた。
アイヌの父と、ポーランド人の母。二つの遠い血が、北海道のある小さな町で交差し、わたしが生まれた。家庭の中では、言葉も祈りも、二つあった。父は山を語り、母は戦争を語った。父の食卓には狩りの獲物が並び、母の皿にはピエロギとザワークラウト。日曜日には十字を切り、月の満ち欠けには川に塩を流した。
だが、外に出ると、世界の色は一変した。
教室の椅子に腰掛けると、無数の目が、わたしを“それ”として見る。違う名前、違う顔、違うにおい。「どこから来たの?」「その顔、なんか変じゃない?」——子どもの無垢な問いかけは、時に鋭く、心の奥深くを裂く。
運動会の練習のとき、陽に焼けた腕を見た男子が言った。「なんかアイヌ人っぽくて原始人みたい」。教室は笑いの渦に包まれた。けれど、笑えなかった。父の手にある斧のタコも、母が縫ったレースの模様も、ひっそりと心の中で泣いていた。
思春期になり、自分の居場所を探そうとすればするほど、その問いはより重く、より苦く、わたしの影を長くした。見た目も、家庭も、文化も、どこかとズレている。でも、ここが日本である限り、わたしは“日本人”であることを求められた。どこかに縛られながらも、どこにも根を下ろせない——そんな生の感覚が、じわじわと胸に広がっていった。
「ハーフでいいね」「異国っぽくてかっこいい」
そんな言葉がまぶたの裏に浮かぶたびに、わたしはもう一歩、沈黙の奥へと歩いていった。わたしは誰にも語らず、自らの声を封じることを覚えた。それは“異邦人”としての処世術であり、自衛でもあった。
だが、大学進学のために東京へ出たとき、少しだけ世界の輪郭が変わった。
多様性という言葉が流行語のように使われ、名前の由来を尋ねる人の眼差しには、興味よりも敬意が宿っていた。だが、それでも、“異邦人”という感覚がわたしの中から完全に消えることはなかった。それは、肌に刻まれた見えない“文様”のようで、誰に見せなくとも、わたし自身がずっと感じているのだ。
——それでも。
最近になって、ようやく思えるようになったのだ。
異邦人であること。それは孤独でありながら、ひとつの祈りに似ているのかもしれない、と。
誰にも届かぬかもしれない、と思いながらもなお言葉を差し出す。
拒まれることを知りながら、それでも沈黙のなかで灯りを掲げ続ける。
その姿は、わたしが幼い頃に見た、森のなかの父の背中と重なる。
そして今、わたしは書いている。
言葉のかけらを並べて、自分の存在を、祈りのように形にしていく。
「違い」は、わたしを引き裂いたが、同時にわたしを織りあげてもいる。
わたしは、「にほん」の内側と外側、そのあわいで揺れながら生きている。
それは、たやすい生ではない。けれど、そこにしか咲かない花があることを、私は知っている。
わたしの名は、二つの大地の声でできている。
その声を消さず、濁さず、震わせ続ける。
たとえ誰にも届かなくとも、その声が、わたし自身を生かし続ける限り。
