ヌードを撮っていると、差別とまではいかなくとも、
様々な偏見に晒されることになる。
・
偏見とか差別がなぜ生まれてくるか?というと・・
人にはそれぞれ「常識という枠」がある。
その「枠」を鎧(よろい)のようにして我が身を守りながら生きている。
「常識という枠」の外側で起こる事態に遭遇すると、
”非常識だ!”と言って、嫌悪感を抱き、時として攻撃するに至る。
・
そもそも、「枠」という「くくり」に問題があると言ってよい。
くくって良いのは数学の因数分解だけ・・。
国家、人種、宗教、地域などでくくれていることから、
ほとんどの争いごとが起こっている。
困ったことに、知性レベルが低く単細胞な人ほど、
くくれることによって、より行動的になり、熱狂的にもなりうる。
「お国のため・・」という「くくり」で多くの人命が失われたことは
75年前とはいえ、そんなに昔のことではない。
・
21世紀になり、明らかに時代は逆行している。
人々は「新たなくくり」を求めるようになってきた。
一国主義、ポピュリズムなどの台頭を止められないようなのだ。
(20世紀後半から始まったグローバリズムの反動もあるのだろう)
11月にはアメリカの大統領選挙がある。
トランプの圧倒的不利が予想されているが、
私はトランプが勝つと思っている(望んでないけど・・)
だからと言って、バイデンでもまずいでしょ・・
・
本題に戻りましょう・・
画像に限らずビデオなども含めて、
性的好奇心ばかりを煽るものがこの世には溢れているし、
コンビニ行けば、(可愛いでしょ!と媚を売る)ピンク色の雑誌が並ぶ。
造形美などを深く掘り下げた視覚的好奇心へ、また、
ストーリー性、様々な知的好奇心へ導く「作品」も少なからず存在するものの、
世の8割がたの人たちは、それらの区別がつきません。
純粋な目を持った人たちには「アート」であっても、
曇った目を持つ人たちには単に卑猥なものであり、
このように、公開して載せることに批判的なのでしょう。
・
例え、男性が女性ヌードを撮ろうが、
フォトグラファーにとっては、作品は常に「自画像」です。
女性ヌードをとおして、「自己表現」をしてます。
まともなフォトグラファーが、
性的好奇心ばかりを煽る「自画像」を載せるでしょうか!?
