灰青の静けさのなかで

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—刺青と着流しと清楚の気配について—**

一、
背景は、限りなくブルーに近い灰色。
澄んだ水面の下で音が眠るような、透きとおる静寂。
その前に立つ身体は、
ただそこにあるだけで、
周囲の空気をひとつ上質に整える清らかさを帯びる。
清楚とは、飾らぬ潔さの別名だ。

二、
着流しの着物は、
その清らかさに触れているうちに、
まるで雪解けのように肩から流れ落ちる。
だらしなさではなく、
むしろ“潔い緩み”としての着流し。
九鬼周造の言う「いき」が、
清楚の透明さと結び合う一瞬である。

三、
刺青は、
華美には輝かず、
ただ淡い影のように浮かぶ。
灰青の背景の前では、
その線はどこか慎ましくさえ見え、
力よりも静けさを思わせる。
派手さではなく、
“深さの気配としての装い”。
それが清楚の反対にあるのではなく、
むしろよく似た沈黙をまとっている。

四、
裸身という言葉がふさわしくないほど、
その佇まいには凛とした節度がある。
露わであることが
開放を意味しないように、
隠すこともまた
清らかさの本質ではない。
ただ“過不足なく在る”という一点に、
静謐が結晶するだけだ。

五、
道元のいう「身心脱落」は、
不要なものを捨てることではなく、
本来の在りようへ沈んでゆく運動だ。
灰青の光のなかで、
刺青も着物も肌も、
いずれも過剰な主張を失い、
ただ、あるがままに澄んでゆく。
それは清楚のもっとも深い形である。

六、
清楚とは、
「無垢」ではなく「澄明」である。
未完成のまま澄んでいる、
そんな気配だ。
着流しの衣が余白を生み、
刺青が沈黙を刻み、
灰青の背景が呼吸の速度を遅くするとき、
その澄明は一つの輪郭となって、
ふっと身体のまわりに宿る。

七、
灰青の空気のなかで、
すべてがゆっくりと薄れ、
しかし完全には消えない。
この保留された世界において、
清楚はひとつの“透明な強さ”として立ち上がる。
その強さは語らず、主張せず、
ただ静かに世界と響き合うだけだ。

八、
刺青の線が慎ましく胸に寄り、
着流しの布が呼吸に合わせて揺れ、
灰青の背景が淡い光を投げかける。
この三つの間に生まれるわずかな振動こそ、
美の居場所であり、
清楚という言葉が
もっとも静かに結実する瞬間である。

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Tetsuro Higashi

I was born and brought up in Tokyo Japan. Now I teach mathematics . At age 20 I took up painting. I took up taking photos before 5 years. I have learned taking photos by myself . I grew up while watching ukiyo-e and have learned a lot from Sandro Botticelli , Pablo Picasso. Studying works of Rembrandt Hamensz . Van Rijn, I make up the light and shadow. * INTERNATIONAL PHOTO EXPO 2015 / 26 February ~ 31 March Piramid Sanat Istanbul, Turkey * World Contemporary Art 2015 Nobember Piramid Sanat Istanbul, Turkey * Festival Europeen de la Photo de Nu 06 ~ 16 May 2016 Solo exposition at palais de l archeveche arles, France *2016 Photo Beijing 13~26th October *Sponsored by Tetsuya Fukui 23 February - 02 March 2019 Cafe & Bar Reverse in Ginza,Tokyo,Japan *Salon de la Photo de Paris 8th – 10th – 11th 2019 directed by Rachel Hardouin *Photo Expo Setagaya April 2020 in Galerie #1317 *Exhibition NAKED 2020 in Himeji    Produce : Akiko Shinmura      Event Organizer : Audience Aresorate December 1th ~ 14th  2020

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