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—刺青と着流しと裸身の境界にひそむもの—**
一、
背景は、限りなくブルーに近い灰色である。
青にも灰にも決しきれず、
そのどちらにも寄り添うことを拒む色。
道元の語る「有時」のように、
存在がいま・ここにありながら、
常にどこかへ流れ去っていく不確定の気配を帯びている。
二、
その灰青の無音の底に、
着流しの着物が一筋の白い風のように落ちる。
布は、落ちるのか、漂うのか。
その境目さえ、この背景が奪い去る。
色を持ちながら輪郭を放棄したような空間の前では、
衣の動きもまた、ひとつの揺らぐ影にすぎない。
三、
裸身が現れ、
刺青の線が灰青の光を吸い込み、
沈黙と深さを帯びて浮かび上がる。
刺青は、肌に描かれたものではなく、
背景から引き出された影の記憶のようだ。
九鬼周造が「いき」を“やりすぎない美”と読んだように、
この影は語りすぎず、
ただ世界の端をそっとなぞる。
四、
灰青という色は、不思議だ。
それは海の深いところのようで、
空が黙り込む前の夕刻のようでもある。
深淵に似てはいるが、深淵ではない。
むしろ、深淵がそのまま「ひとつの薄明」として
世界に滲み出したような色。
そこに立つ身体は、
存在というより“残像”に近くなる。
五、
刺青は、残像に抗う。
肌に刻まれた線は、
灰青の無限の広がりに対する「有限」の証。
外界へ溶けようとする身体に、
わずかな重みを与える。
その線は、
「私はここに在る」と言い切る強さではなく、
「ここでありつづけようとする」
静かな抵抗のように見える。
六、
着流しの衣が、
青にも灰にも吸い込まれぬ背景の前で
ゆっくりと形を失い、
刺青がその空虚と肌の狭間から
かすかに浮上するとき、
裸身は初めて“裸身以外の何か”になる。
未完であるという美、
道元の言う「ただこれだけのこと」の静けさ、
九鬼の語る「いき」の余白が、
その姿の周縁を静かに取り巻く。
七、
背景が灰青であることの意味は、
それ自体が意味を拒否するところにある。
強すぎる青も、
濁りすぎた灰も、ここにはない。
ただ、色が色であることをやめかけている、
その“中間としての無”がある。
その無の前に立つ刺青と着物と肌は、
世界と身体の境界線が
ひととき静かに解けていく様を示す。
八、
美は、完成から生まれない。
美は、存在が世界と結び目をほどきかけ、
しかし完全にはほどけない、その震えの中に宿る。
灰に近い青の奥底から立ち上がる静寂は、
その震えを、
かすかに、しかし確かに照らし返す。
九、
こうして、
刺青を抱いた裸身も、
着流しの衣も、
背景の灰青も、
どれひとつとして主語にならない。
意味も物語も押しつけず、
ただ存在の縁でたゆたう。
そこにひらくわずかな隙間――
それこそが、美の居場所なのだ。
