THE ALFEE – The Boxer

ここまで見事なカバーは少ないね

原曲はサイモンとガーファンクル

アメリカの“深層”を突いたものですが

アルフィーにはそんな想いがあるはずもなく

ただただ見事にハモリこなしてしまう・・

これまで、政府のやり方に関して

”怒り”を覚えたことない僕も

コメの値段高騰には憤りを覚える

7月から9月にかけて

これまでの政治形態が激変するかもしれないね

庶民の怒りを甘く見ちゃいけないよ!

音楽と詩のじかん K2 スタジオ 仙川

音楽と詩のじかん 

日時:5月18日(日曜日) 14:30~15:30

会場:K2 スタジオ (K2ビル B1F)仙川駅徒歩2分

出演:伊与田菜生(クリエイター)

アート写真に見る「ヌード」の再解釈

芸術写真に見る「ヌード」の再解釈

芸術写真におけるヌード表現、あるいは眠る姿というテーマは、しばしば「見る/見られる」というジェンダー構造の中で語られてきました。けれども近年の写真家たちの手によって、その図式は静かに、しかし確実に更新されつつあります。

「愛と焦燥の間に」


「愛と焦燥の間に」

たぶんそれは、ひとつの部屋。
夜を迎える前の、光の最後の粒子が漂っている。
窓を閉め忘れた風が、カーテンを揺らす。
彼の気配がそこにあった、と感じた瞬間のような、過去と現在が重なる場所。

愛は来て、座る。
何も言わない。
焦燥は立っている。
歩き回り、煙草に火をつけては、すぐに消す。
言葉が壁に跳ね返る。だれもそれを聞こうとはしない。

そして私たちは、そのあいだに生きている。
待つ者として。迷う者として。
愛を信じたいとき、焦燥は耳元で囁く——「まだ足りない」と。
焦燥から逃れたいとき、愛は背を向けて黙っている。

それでも私は、コーヒーの苦みを舌に残しながら、朝を待つ。
あの人の名を、心の中だけで何度も唱える。
それは祈りではなく、呪文でもなく、ただ——残響。

愛と焦燥の間には、時がある。
それは、時計の針では測れない時間。
手に触れられない熱。
見えないまなざし。
名もなき不在の重み。

だから私は、あの部屋に戻る。
何もないテーブルの前に座り、
もう来ることのない扉のほうを見つめている。
言葉もなく、夢もなく。
ただその、”はざま” に。

【売春島に潜入】人身売買に借金地獄…少女たちを支配した裏社会の実態

【売春島に潜入】人身売買に借金地獄…少女たちを支配した裏社会の実態と、島が辿った衝撃の末路

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「この島」のことは・・・

1975年くらいから、バブル期に30年近く続いていたそうです

私は1950年生まれですから

私がしっかり現存していた時期ですね

その意味では、耳につまされる話なのです

良くも悪くも・・

私の人生は世間と断絶していたところがあって

接待するとか、されるとか

呑んだ勢いで羽目外すとか

・・そんな経験が全くなくて

”未知の領域”なんですね、私にとっては。

異邦人

異邦の肌、異邦の祈り

幼いころ、わたしは鏡の中の自分を、他人のように見つめていた。
黒い瞳は真っ直ぐにこちらを見返し、頬骨の高い輪郭がどこか険しかった。肌は淡く白く、母の手のひらのように柔らかだったが、髪は太く、濃く、目のまわりにはごく淡く、緑がかった色素が浮かんでいた。

わたしの顔は、どちらの民族にとっても、少しばかり“異質”だった。
その異質は、日本という国において、ときに軽んじられ、ときに過剰に扱われた。

アイヌの父と、ポーランド人の母。二つの遠い血が、北海道のある小さな町で交差し、わたしが生まれた。家庭の中では、言葉も祈りも、二つあった。父は山を語り、母は戦争を語った。父の食卓には狩りの獲物が並び、母の皿にはピエロギとザワークラウト。日曜日には十字を切り、月の満ち欠けには川に塩を流した。

だが、外に出ると、世界の色は一変した。
教室の椅子に腰掛けると、無数の目が、わたしを“それ”として見る。違う名前、違う顔、違うにおい。「どこから来たの?」「その顔、なんか変じゃない?」——子どもの無垢な問いかけは、時に鋭く、心の奥深くを裂く。

運動会の練習のとき、陽に焼けた腕を見た男子が言った。「なんかアイヌ人っぽくて原始人みたい」。教室は笑いの渦に包まれた。けれど、笑えなかった。父の手にある斧のタコも、母が縫ったレースの模様も、ひっそりと心の中で泣いていた。

思春期になり、自分の居場所を探そうとすればするほど、その問いはより重く、より苦く、わたしの影を長くした。見た目も、家庭も、文化も、どこかとズレている。でも、ここが日本である限り、わたしは“日本人”であることを求められた。どこかに縛られながらも、どこにも根を下ろせない——そんな生の感覚が、じわじわと胸に広がっていった。

「ハーフでいいね」「異国っぽくてかっこいい」
そんな言葉がまぶたの裏に浮かぶたびに、わたしはもう一歩、沈黙の奥へと歩いていった。わたしは誰にも語らず、自らの声を封じることを覚えた。それは“異邦人”としての処世術であり、自衛でもあった。

だが、大学進学のために東京へ出たとき、少しだけ世界の輪郭が変わった。
多様性という言葉が流行語のように使われ、名前の由来を尋ねる人の眼差しには、興味よりも敬意が宿っていた。だが、それでも、“異邦人”という感覚がわたしの中から完全に消えることはなかった。それは、肌に刻まれた見えない“文様”のようで、誰に見せなくとも、わたし自身がずっと感じているのだ。

——それでも。
最近になって、ようやく思えるようになったのだ。
異邦人であること。それは孤独でありながら、ひとつの祈りに似ているのかもしれない、と。

誰にも届かぬかもしれない、と思いながらもなお言葉を差し出す。
拒まれることを知りながら、それでも沈黙のなかで灯りを掲げ続ける。
その姿は、わたしが幼い頃に見た、森のなかの父の背中と重なる。

そして今、わたしは書いている。
言葉のかけらを並べて、自分の存在を、祈りのように形にしていく。
「違い」は、わたしを引き裂いたが、同時にわたしを織りあげてもいる。

わたしは、「にほん」の内側と外側、そのあわいで揺れながら生きている。
それは、たやすい生ではない。けれど、そこにしか咲かない花があることを、私は知っている。

わたしの名は、二つの大地の声でできている。
その声を消さず、濁さず、震わせ続ける。
たとえ誰にも届かなくとも、その声が、わたし自身を生かし続ける限り。