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六月十四日、くもりのち晴れ。朝まだきより庭に立ちて、空を仰げば、梅雨の名残の雲のうすくかかりて、風かすかに葉を揺らす。山鳩の声、遠くより聞こゆ。年老いた身には、この涼しき空気こそ、なによりの薬なりけり。
ひとしきり草花をながめ、ひと息つく。われ、今年にて喜寿を迎えしものなり。いま思へば、道のりは遠くもあり、近くもあり。子らは育ち、孫らもまた大きくなりて、それぞれの暮らしを持ちぬ。されど心のうちには、あの頃の風、母の声、幼き日々の景色、いまだあせず。
このごろは、朝の庭に出でて、黙して木々の音を聞くを楽しみとす。草に露おき、虫らはまだ静かにひそみて、風のすじひとすじすぎるたび、葉のうらがしらじらと光りぬ。思ふに、世はめぐりて、われもまた、その巡りのなかに生きてあるなり。
人は言ふ、「年をとるとは、忘れていくこと」と。しかれど、われ思ふに、忘るることの奥に、たしかに残るものこそが、まことの記憶なるべし。忘れたふりして忘れぬこと、胸のうちにそっと沈む思ひ出、それこそが生きる証。
今日はこれにて、筆をおきぬ。次の晴れの日には、また一里ほど山道を歩まんと思ふ。われらが人生、けふもまた、ひとときの旅なり。


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「ピクトリアリズムの試み」