妖艶なヌード

「妖艶なヌード」 model : Keiko Ollivier   なんでここまで「妖艶」に撮れるのか、撮ってる私にも分かりません。 ひとえに、モデルの力量なのでしょうね。 私は撮らされているだけかもしれません。 Keiko Ollivier 作品集 

上の作品群のように「妖艶さ」で勝負した作品と、下の作品のように「日本画」的なアート作品としての作品群がある。 上の場合は”生身”であり、下は”伝統美”なのでしょうか。

僕は、このモデルさんとは何度も撮影しているし、色々なことが話せる”親しい友人”でもあるので、下のような絵が撮れることはごく自然なことなのですが、上のような絵になってしまうのは、正直なところ、驚きでもあり、それも、”妖艶さ、ここに極まれり”とも思え、写真家としてこの上なく嬉しいことなのですね。

上の作品群の撮影では、50cm~1mくらいの至近距離から、モデルの上にのしかかるようにレンズを向け、シャッターを切り続けます。 たとえ、至近距離からであろうが、僕が見ているのはファインダーを透してであり、そこには”非現実の女体”が横たわっているわけです。 ただ、息遣いとか体温なども感じられ、非現実とばかりは言えない空間にもいるわけです。 ”下半身の緩い人”には、こういう撮影は勧められませんね。

このモデルさんは、元々ヌードで撮ることはなかったと記憶している。 僕が「ヌードで撮ろう! 必ず、素晴らしい作品にするから・・」と言って、説得した記憶がある。 それから、僕がこの人を撮るときはほとんどがヌードとなっている。 

ある対談で答えたことがありますが、なぜ、ヌードなのか?と言えば・・・衣装を羽織れば、ほとんどの場合、展示会には使えない(衣装メーカーの許可が必要)。ランジェリーの場合も同様。 だから、何も着ないで撮るのが(作品にするには)もっとも都合が良い。 それと、人の原型はヌードだしね、生まれたままが最も美しい。

ヌードを撮影する際は、ただひたすらファインダー越しに画像の映り込みだけを見ている。 目の前のヌードを見ているのだろうが、全く記憶がない。 そのモデルのヌードに興味があるかどうか?ということじゃなく、撮影モードに入ると、性的好奇心というものは排除されているからなのでしょう。 これも当然のことですが、撮影中にモデルの体を手で触れたこともない(ボディーペインティングのような場合は、体に手が触れてしまうことはあるが)。 最高な作品にしないといけない!という絶対的な縛りみたいなものがあり、”魔がさす“ようなことはあり得ない・・世界のトップのステージで展示会へ出てしまうと、目指す水準がはるかに高くなってしまい、プレッシャーばかりが圧しかかる様になる。 このことばかりは、必ずしも良いことばかりでない、撮影自体を楽しめないようになってくるから・・

 

ヌードを撮る際の「距離感」について・・ あくまでも一般論ではなく、僕の感覚です。 距離感と言っても”精神的距離感”であって、カメラと被写体の距離感ではない。 例えばですね、肉体関係のある人とそういう関係がない人を撮った場合、(たぶん)顕かな差が出てくると思います、画像の写り込みに。 また、興味本位で撮った場合と作品として残そう・・と思って撮った場合も同様です。 撮影現場を共有する被写体と自分との「同意」がとても重要だと思ってます。 僕は、ポーズをとるモデルにも、撮る写真家にもタブーをなくすことの「同意」と「信頼」が不可欠であると思ってます。 ここにはすべてが写り込んでしまうような”画像”も撮れてますが、展示会のみで、ここでは載せませんが。 部分を隠すような撮影にすると、ポーズが窮屈になり、良い作品にはなりませんから。

このモデルさんを撮るときは、立ちポーズか寝ポーズのみで、(その中間の)座りポーズや床から1mくらいの高さの台の上で撮ったことがほとんどない。 中間のポーズで撮ることがイメージできない。   

ここでは、寝ポーズのみで一つのカテゴリーになっている。 ご覧になってお分かりのように、ポーズのバリエーションがとても豊か・・(こういうところに、人生キャリの差がでるのだろう)。 

「妖艶なヌード」

猥褻なのもアートのうち・・猥褻だけでもアートになる(どんな図でも、僕が撮ればアートにする自負はある)。 ただ、エログロなのは僕の趣味ではないね、その手の画像やビデオは。 それから、SM系の画像も苦手かな・・特に”縛り”とか、そういう趣味ないね(縛るなら、縛られる方がまだましだね・笑)。 性的偏向が強いものは扱わないようにしてる。 ただ、モデルさんがどういう図になっていくかは、僕の”範疇”にはないから、モデルさん任せにするしかない・・と思っている。 

動物的本能だけで夜を過ごすのはもったいない気がする。 だからといって、ビデオなんかで”やらせ”を学んだところで大して役には立たないでしょうね、勘違いばかりで浅はかだしね、そもそも”心”がないでしょ。 前知識というものはろくなものではないね、何事も一つ一つ体で覚えていくものでしょ、相手を選んで経験値を積み上げていくもの。 平安時代なんかを考えてみるといい・・日が落ちれば、ロウソクの灯りだけ、夜な夜なやることはそれ以外になさそうだしね、他にもあるかもね。 当時の人たちの性の文化は現代よりずっと豊かで深かったように思う。 ビデオなどからの下手な前知識はないからね、”本物”を味わい、伝えていたような気がする。 ・・・情報が溢れているということは、言い事ばかりじゃなく、こんなところでも”浅はかさ”を露呈するのでしょうね。

「展示作品」となれば、このように額入れて、サイズは画像がA1、額はB1くらいでしょうか。 この画像は展示会用であり、例外的にここに載せてます。 来年、コロナが治まれば、パリのサロンかギャラリーで展示したいと考えてます。 作品数は15~20点を予定してます。 パリでなくても、他のエリアからのオファーがあれば、それも考慮しようと思います。

「追記」 世の人たち、特に男性は、こういう撮影現場はどうなっているのか?と、とても興味深く思う人がいると思います。 この撮影は、スタジオでのセットですからね、僕がすべて準備してます。 モデルの方はとても清楚で理知的な方、カメラマンの僕は撮影モードに入ればファインダーだけを覗いてるだけの人。 休憩時間は普通に世間話をしてるか、次の撮影準備に入っているか、時には、モデルがカメラとの(抽象的な)距離感をどれくらいに保っていくか、どういう意識をもって撮影に臨むか、、、そんなことを話しながら進めてます。 モデルも写真家も、展示会に使えるような「作品」にしようという気持ちでくくれているので、非日常的な空間を共有してるのだけれど、だからといって、特別なことは何もないのです。 僕の側にはいつも緊張感はありますね、モデルさんも気持ちが入ってるし、張り詰めた空気はあります。 でも、詰まるところは、両者が夢中になって現場(スタジオ)の時空を共有し、とっても楽しめていることです。

他のページでも書いてますが、私の作品にはストーリー性が意識的に排除されたものが多くあります。 ”絵”そのものにしようとする試みです。 このような「和」の撮影で難しいのは、色彩をいかにして抑え込むか!なのです。 また、色合いのトーンを整えることが非常に難しい。 編集でできることは限られてますから、撮影段階に入る前に、試し撮りにかなりの時間を割きます。 帯と人物の背景には茶色に見える部分がありますが、それはキャンバスにアクリルで色付けしたものです。 このページのタイトルは「妖艶なヌード」ですが、私にとっての造形美でもあり、抽象画に近い感があります。

本当なら、今年(2020年の秋)には、このモデルさんの展示会をパリでしようと話を進めてましたが、今年どころか来年も難しいことになりそうです ・・ということで、「Web展示会」をここで開催した次第です。 展示会へ使おうと予定してる画像は載せないのですが、少しづつここに載せていこうと考えてます。

プライベートな「フォトアルバム」「写真集」をの作成。

プライベートフォト撮影「記念撮影」 「自分の裸が作品になる喜び」