Photographing the Female Nude: Unstaged Bodies, Beauty in Motion
女性ヌードを撮るという行為は、いつも躊躇を伴う。
それは技術の問題ではない。
ましてや勇気の問題でもない。
視線の問題であり、立場の問題であり、
そして沈黙の扱い方の問題である。
私は男性写真家として、
女性の身体を前にするとき、
常に「撮ってよいのか」という問いから逃れられない。
それは倫理的な自制というよりも、
写真という表現が本来持っている暴力性への自覚だ。
だから私は、演出をしない。
ポーズを決めず、動きを止めず、
「美しく見える形」を要求しない。
私が待つのは、
身体が自分自身の時間に戻る瞬間である。
身体は、本来、止まらない。
呼吸し、揺れ、わずかに崩れ、
また別の均衡を探す。
その流れの中にこそ、
装われていない美が現れる。
シャッターを切るのは、
完成した形に対してではない。
感情がまだ言葉にならない、その途中、
あるいは、すでに消えかけた直後だ。
私にとってヌードとは、
露わになることではない。
むしろ、隠そうとしないことに近い。
何かを見せようとする身体は、
すでに他者の視線に合わせてしまっている。
モデルがポーズを止めないとき、
写真家である私は、
「支配する側」ではいられなくなる。
ただ、同じ時間の中に居合わせ、
起こったことを受け取るだけの存在になる。
この距離感こそが、
私が女性ヌードを撮り続ける理由なのかもしれない。
フェミニズム批評が指摘してきた
「見る主体/見られる客体」という構図は、
写真の現場でも確かに存在する。
それを否定することはできない。
しかし、問い直すことはできる。
演出しないこと。
身体の流れを止めないこと。
視線を完成させないこと。
それらは小さな抵抗であり、
同時に、私自身の限界を露わにする行為でもある。
この作品群に写っているのは、
女性の身体そのものではない。
身体と時間がすれ違った痕跡であり、
私がそこに立ち会ったという事実だけだ。
見る者が、
「美しい」と感じる前に、
一瞬ためらうなら――
その沈黙こそが、
この写真の中で、最も誠実なものだと私は思っている。
Photographing the Female Nude: Unstaged Bodies, Beauty in Motion
Photographing the female nude always begins with hesitation.
Not technical hesitation, but ethical awareness—
of gaze, position, and silence.
As a male photographer,
I choose not to direct, not to fix, not to stage.
I wait for the body to return to its own time.
The body never stops.
Breath, imbalance, and subtle shifts
reveal a beauty that is not constructed.
I photograph not completion,
but transition—
moments before feeling takes form, or after it dissolves.
These images do not present the nude.
They record a shared duration,
where looking itself remains unresolved.

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モデルとのコラボである以上、今回の撮影は失敗でした・・とは言えないわけです。 本当に失敗していれば、展示しないわけですが、そこそこ失敗した画像もたくさん載せてるわけです。
model : Mone Anri https://moneanri.wixsite.com/monet

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このモデルを撮り始めてから、今年で6年目を迎える。 20代中盤から後半にかけての体の微妙な変化を感じさせる。 ふくよかさの上にメリハリの効いた”アップデート”がなされているようだ。

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このシリーズでは、レースで顔覆う覆面で撮影をしている。 顔には動かしがたい主張があり、体全体で表現するポージングでの”表情”の邪魔になりやすい。

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下のURLは「僕の撮ったMoneさんの写真への彼女自身のコメント・感想」
https://moneanri.wixsite.com/monet/tetsuro-higashi



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Anri Mone 2022~ 背中が美しく