晩秋の風に吹かれていると、「手放す」という行為が怖くなくなる

晩秋という季節に身を置くと、どこか胸の奥がひそやかにざわめく。木々の葉がゆっくりと色づき、そして静かに地面へ戻っていくさまは、まるで長い人生を終えようとする者の、穏やかな身の処し方を見ているようだ。春に芽吹き、夏に茂り、秋に燃えるような彩りを見せたあと、最後には音もなく手を離していく。その潔さは、終わりに向かう怖れよりも、むしろ深い肯定を感じさせる。

黄昏の時間帯になると、世界は柔らかな薄明かりに包まれる。光が斜めに差し、影が伸びる。ものごとの輪郭がぼやけ、どこか夢の中に入り込んだような気分になる。そこに漂うのは、人生の夕暮れに近いあの感覚とよく似ている。若さや勢いが少しずつ後ろへ退き、かわりに記憶の重さや静けさがそっと前に出てくる。派手さはないが、端正で、どこか満ち足りている。

晩秋の風に吹かれていると、「手放す」という行為が怖くなくなる。若い頃には、手にしたものを必死で掴み、失うことを極端に恐れていた。けれど、この季節を歩いていると、落葉のように自然に委ねてよいのだ、と教えられる気がする。人生の終末とは、ただ何かを失っていく時間ではなく、抱えすぎた荷物を静かに降ろし、自分に本当に必要なものだけを残していく行為なのかもしれない。

晩秋の冷たい空気には、それでも奇妙なぬくもりがふくまれている。風は冷たくとも、夕暮れの色は深く、家々の灯りはいつもより優しい。その対比の中で、私はしばしば「生きてきた」という実感に触れる。人生の終わりがもし晩秋のようなものであるなら、それは怖れではなく、静かな受容の時間だろう。歩んできた道を振り返り、ようやくその意味を自分の手でそっと撫でられるような、そんな温度を帯びているに違いない。

 

 晩秋は、終わりの象徴ではなく、終わりに向かう心の姿勢を映し出す季節だ。色彩が失われるほど、輪郭はやわらかくなり、静けさは深まる。そしてその静けさの奥には、人生の最後にふと灯る、小さな光のようなものが確かに息づいている。

撮影依頼のお問い合わせ::::::::::

連絡先:insta のメッセージ

連絡先: X のchat

撮影先:teh6452@gmail.com