創造的な時間を過ごすことと、単に暇つぶしをしてること・・

・

創造的な時間を過ごすことと、単に暇つぶしをしてること・・

その区別がつかなくなってきている。

・・というより、暇してる時間の中に

偶然に創造的な時間を過ごしていたのかな・・ということらしい。

共感力とシステム化力

・

自分の能力・適性が分かったころには既に73年が経っていた・・

それが、最近の私の率直な感想。

・

たぶん、IQと言われるものは平均くらいで、

多くの人たちが持ち合わせる「共感力」は不足気味、

「システム化力」と言われるものがかなり長けていると思われる。

また、老化の速度が緩やかで、周囲がどんどんボケている中で、

欲深くも知的好奇心は衰えることもない。

・

ピカソの絵画を観ているうちにその仕組みは分かってしまう。

ピカソがどのような順序でどの部分から描き始めていくのか、

どうして、そこにその色を置くのか、

逆算して、分かってしまう、少なくとも分かったような気になってしまう。

・

ところが、ピカソのような絵が描けるか?と言えば、

それは別の問題があって、

仕組みを読みとるということと制作することは別のことであるし、

制作には”動機と胆力”が欠かせない。

近々、100号のキャンバスにアクリルで描こうと思っているが、

そこまでの動機に出会えるか、胆力が残っているか、

・・そろそろ始めないと、残された時間が少ないことも分かっている。

Keith Jarrett  ケルンコンサート

・

キース・ジャレット本人の演奏はユーチューブでは聴けないので、

彼の演奏に限りなく近く再現されたものを載せている。

・

私が初めてキースの楽曲と出会ったのは20代前半の頃、

50年前に下北のジャズ喫茶で聴いた。

彼がデビューして間もなくの頃だったと思う。

当時は、ジャズは黒人のもので

それ以外の人種の奏でるものは軽く扱われていた。

当然のように、キースも”白人の若造”が・・という扱いだったと思う。

・

当時は、クラシック、ジャズ、ロック、ホーク、ポピュラー、歌謡曲、演歌

というようにジャンルがあり、

私のように何でもかんでも聴いてしまう人種は節操がないと

軽蔑されることもしばしばだった。

・

多くの人たちは、クラシックを育んだ伝統に拘り、

ジャズを生んだ時代背景を文化として受け入れていたようだ。

ロックはいきがったあんちゃんが奏でる騒音であり、

平和を唱えるならホークソングがセットで

歌謡曲は大衆の軽い音楽で、演歌はオヤジ・オバンのもの・・

・

私が最近よく聴くのは・・ここで載せてる楽曲以外にも・・

桑田、スティング、前川清、チェット・ベイカー、マーラー、ラフマニノフ、

玉置浩二(いかないで)、フォーレ、モーツアルト(レクイエム)、

(若手ギタリスト)Kent、ジャンボ尾崎の「山河」、ウェイン・ショーター、

などなど・・きりがない。 

鏡を使った撮影は想像以上に難しく、期待した以上に面白い

・

鏡を使った撮影

model : Anri Mone

鏡を使った撮影は想像以上に難しく、また、期待した以上に面白い。 入射角と反射角は、10度ずらせば、合わせて20度ずれる・・当たり前のことが、実体験として慣れるまで時間を有する。 モデルも私も、撮れた画像を確認しながら、創りあげていった。 フォーカスポイントの合わせ方・・実像か鏡の中の虚像か、常に、一人の人物が角度を変えてあたかも別人のように二人となって写り込む。

撮影は当然のこと、編集過程も難易度が高く、画質のキープが課題となる。 初めての撮影状況であったので、ライティングもこれまでの経験値では役に立たない。 Web Gallery とはいえ、失敗や反省の山を築いたのかもしれない。 まぁ、楽しめる画像が数枚あれば、良しとしよぅ・・

美術モデル&撮影モデルの依頼 : Anri Mone [official ] : https://moneanri.wixsite.com/monet/tetsuro-higashi

日本的自然観が時代の潮流になってきた・・

・

「自然である」ことの定義付け・・西洋と日本の違い。 西洋では、自然は無秩序なものであるから、人間が秩序立てるという考え方をする。 風景画を描くにあたっても、山や木々、海や川などを在りのまま描こうとはしない。 自然までをも(人間様が)秩序立てるという考えが(根底に)存在する。 方や、日本においては、自然自体が尊く美しいものであるから、自然の在りのままを描写しようとしてきた。 意識の根底には、人は自然の一部であり、人さまが介入する余地はないと考えるからなのだろう。 西洋では人間様が最も尊く、自然は時として驚異であり、決して有難いのでものではなく、いかにして自然をコントロール下に治めるか?と考えるようだ。 日本では、自然と人間には分け隔てもなく、優劣なども存在しなかったと思われる。 アートの世界においても、”このような認識”を心得ていないと、真の理解は得られないかもしれない。 

21世紀に至っては、これまでの「自然観」は西洋でも東洋でも変異しつつあり、文化のフローバル化が進み、相互にかなり近いづいた感がある。 ・・というより、東洋的自然観が時代の潮流になってきたようだ。 環境汚染が続き、自然をコントロール下に治めようなどとする”思い上がり”には、終止符を打たないとならないと考えるようになったのだろう。 

アートの世界では、「文化的」と「変態的」とはほぼ同義

・

上の画像のようなポーズをとるモデルさんとはどんな女性なのだろう? と、想像される方は多いと思いますが、彼女の性癖、趣味、嗜好などは撮影中、話題にすることはないので、ご想像にお任せするしかない。 ・・どちらにしても、アート系の人は変態ばかりなので、何があろうが驚くに値しない。 

アートの世界では、「文化的」と「変態的」とはほぼ同義であり、「普通に健康的な人」と「動物的な人」もほぼ同義と考えている。 性的好奇心ばかりが旺盛な人は、より動物的であり、健康な人なのだろうが、残念ながらアートの世界では「野暮な人」になってしまう。 性的好奇心を超えた向こう側の世界を想像・創造できる人こそが文化的であり、概して”変態的”なのです。 変態と言っても、多種多様ありまして、聴いてびっくり、見てどっきり、知ってまさか!・・の世界です。 変態な人は概して自分が変態であることを自覚してますが、たまには、自覚してない人もいる。 アート(芸術)関係の人は、僕の知る限りでは変態ばかりで、普通なのは僕くらいです。