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この人の背中って、カッコいいでしょ・・
お尻のラインは格別ですね。

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ゼレンスキーの演説を聴いて・・
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ゼレンスキーという人、
なんだか胡散臭いと思うのは私だけでしょうか。
国際世論は・・・
プーチンは悪、ゼレンスキーには正義があると報道してます。
プーチンは間違いなく悪でしょうが、
ゼレンスキーにも、それなりの”裏”がありそうな気がします。
現在のウクライナの悲惨さは許しがたいものがありますが、
ただ、それだけでしょうか。
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ロシアの現状を伝えるメディア(学者)は多くいますが、
ウクライナの歴史的”実情”を伝える報道は聞こえてきません。
プーチンが「ネオナチからウクライナを解放する!」
と言っているのは、嘘とかでっち上げではありません。
第二次世界大戦後、ドイツからナチは一掃されましたが、
ウクライナには存続し、
”アメリカの闇”と言われるグローバリストと繋がっているというのは
以前から言われてる話です。
ユダヤ人であるゼレンスキーとネオナチの繋がり・・
矛盾しているようですが、
ウクライナという国はそれだけ闇が深いということです。

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数十年の時を経ても変わらない時代も、
数週間で一気に変わってしまうことがある・・
という「名言」をはいた人もいますが、
今、まさにその時が来ているよう・・
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冷戦時を経て、民主国家になりかけていたロシアが、
一瞬にして帝政ロシアに戻ってしまい、
民主国家VS独裁国家・専制国家という構図の枠組みには変化があろうが、
それでも、その最悪な構図は続くのでしょうね。
Tetsuro Higashi Photograph reflect

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背景に絵画があるような、鏡があるような・・
でも、これは画像の合成による「作品」
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このモデルさんは、今回で6回目?の撮影になりますが、
撮るたびに写り込み方、ポージングに磨きがかかって来てます。
この画像を見れば分かるように、艶やかさまで放ってます。
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Tetsuro Higashi Photograph wall

1. 時間を切り刻み、同時に存在させる
複数の生写真が一枚の画面に収められるとき、そこでは「前後」「因果」「連続」といった時間の秩序が失われます。
それは、絵画史で言えば**キュビスム**が行ったように、単一視点を拒否し、複数の瞬間・角度を同時に提示する態度に近い。
ただし、ここで扱われるのは絵画的構成ではなく、現実の断片そのものです。
そのため鑑賞者は、「これはいつの写真か」「どれが本当の瞬間か」と無意識に問い続けることになります。
答えはありません。ただ、時間が重なり合う違和感だけが残る。
一枚の中に複数の“生”が存在すると、画面は奇妙な緊張を帯びます。
どれも加工されていない、どれも真実であるがゆえに、真実同士がぶつかり合うのです。
これは、鑑賞者にとって決して快適ではありません。
しかし、その不快さこそが重要です。
写真が「きれいに消費されるイメージ」から、「見る側の倫理や感覚を揺さぶる装置」へと変わる瞬間だからです。
この点で、あなたの試みは、写真を“窓”ではなく“壁”として提示しています。
覗くのではなく、立ち止まらされる写真です。
通常の写真では、視線の主導権は撮影者にあります。
しかし、複数の写真が一枚に配置されると、視線は定まらず、鑑賞者自身が彷徨うことになります。
これは、写真家の視点を弱める代わりに、鑑賞者の内面を強く引き出す構造です。
見る者は「何を見ているのか」よりも、「なぜ自分はここに目を留めたのか」を問うようになる。
この意味で、この試みは極めて内省的な写真表現だと言えるでしょう。
興味深いのは、「レアな写真」を増やすことで、逆説的にレアであること自体が相対化される点です。
一枚一枚は唯一無二であっても、並べられた瞬間に、それらは「群」となり、個の価値が揺らぐ。
しかし、それは価値の喪失ではありません。
むしろ、「唯一性とは何か」「生とは何か」を再び考えさせる、成熟した問いの提示です。
この試みは、
という、非常に静かで、しかし鋭いアート行為です。
一枚の中に複数の生を入れることは、
「現実は一つではない」と主張することではありません。
むしろ、現実は常に重なり、ズレたまま存在しているという事実を、写真という最も現実的なメディアで突きつける行為なのだと思います。
これは実験であり、同時に覚悟の要る表現です。
だからこそ、アートとして成立しています。

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最近、エロティックさが”過激”になってますが、どこまで過激になろうともエレガンスに収めてないと・・という思いで、自分自身への挑戦ですね。

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人物写真で重要なのは、決められたポーズをきれいに撮ることだけではありません。
表情、視線、身体の向き、動き、そしてシャッターを切るタイミング。その一瞬の選択によって、同じ被写体でも写真の印象は大きく変わります。
天羽希純さんの『超BONUSタイム』を、単なる写真集としてではなく、人物表現を研究するクリエイターの視点で見てみるのも面白いでしょう。
◆ 撮影のヒントとして見る
ポーズだけでなく、被写体との距離、カメラ位置、視線、身体のライン、背景の余白、光の方向などに注目すると、写真家がどのように一枚を構成しているのかが見えてきます。
「なぜ、この瞬間が写真になったのか?」
そう問いながら写真を見ることで、写真集は人物撮影を学ぶための実践的な資料にもなります。
美しい写真を見るだけでなく、そこから自分ならどう撮るかを考えてみる。それが、写真家自身の視点を育てることにつながります。
※価格・配信内容などは変更される場合があります。購入の際は販売ページで最新情報をご確認ください。
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僕は、ストーリー性のある写真というのは撮らないのですが、こうして複数枚を合成すると、観る側に勝手なストーリーが生まれてきそうです。 僕はビジュアル的な面白さを追求してるだけで、テーストの違う画像を一度に見たいという”欲求”に因るところなのですが。

人物写真で興味深いのは、被写体の美しさだけではありません。
その人が歩んできた時間や経験、表情の変化、視線の強さ――そうした「人としての存在感」を一枚の写真から感じ取ることができます。
後藤真希さんの写真集『flos』は、人物を撮影するクリエイターにとって、「長いキャリアを持つ人物の魅力を、どのように写真として表現するか」を考えるきっかけになる一冊です。
◆ クリエイターの視点で見る『flos』
人物撮影では、若さや外見的な美しさだけを追いかける必要はありません。むしろ、表情の奥にある経験や、その人だけが持つ空気感をどう写すかが重要です。
視線、顔の角度、身体の向き、ポーズ、光の当たり方、背景との距離。写真集を一枚ずつ観察することで、写真家がどのように人物の魅力を画面の中で構成しているのかを考えることができます。
著名な人物を撮影するとき、写真家はどうしても既に知られているイメージに引っ張られます。
しかし、本当に興味深い人物写真とは、誰もが知っているイメージを再現するだけではなく、「まだ見たことのない、その人」を発見することではないでしょうか。
『flos』を見るときも、単純に「きれいな写真」として見るだけでなく、
「なぜ、この表情に惹かれるのか?」
「なぜ、この構図では人物が強く感じられるのか?」
「カメラは被写体とどのくらいの距離にあるのか?」
という視点で観察してみると、写真集そのものが人物撮影の参考資料になります。
写真家にとって、優れた写真集は一種の「撮影ノート」です。
構図だけを見るのではなく、光、影、視線、身体のライン、余白、カメラ位置、被写体との距離まで意識して見ることで、自分の撮影方法について新しい発見が生まれます。
そして、写真を見て「なぜ自分はこの一枚に惹かれたのか」と考えることから、視覚的な好奇心が知的な好奇心へと変わっていきます。
※価格・配信内容などは変更される場合があります。購入・閲覧の際は販売ページで最新情報をご確認ください。
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アラフォーと言われる、30代、40代での「初めてのヌード」撮影をする女性が増えているように思うのです。 この国では、グラビア系の”子供文化”がもてはやされてきたこともあって、ヌードと言えば、20歳前後の子供ばかりでした。 平均寿命が延びてきたこともあって、50歳前後でも素晴らしいヌードを披露される女性も増えてきており、このブログで載せている女性でも例外ではありません。
このブログをご覧になっている女性から「20歳前の女性ですか?」と聞かれて、「いえ、そこに写っている女性の娘さんが20歳前なのですが・・」とお答えしたことがあります。
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Tetsuro Higashi Photograph wall

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Both Side
撮影段階から、この画像”完成”に至るまで、いろいろと難しいことがあって・・
鏡を使わず、Both Side (各々の側)を写し撮ろうとする試みです。
”女性の性”の対立的二面性とか、単に裏と表とか・・・
Tetsuro Higashi Photograph both side