虐待の恐ろしさは「自己認識」を壊すこと

虐待の恐ろしさは、身体ではなく「自己認識」を壊すことにある。
本来の自分ではない「否定された自分」を自分だと思わされる。
「私はここにいていい」「私は大切な存在だ」という人間の基本的な根っこの部分を、踏みにじり、奪い取る。
そうやって生きる力そのものを奪っていく――それはまさに、静かに人を殺していく行為だ。

では、その静かな殺人に対抗する術はあるのだろうか。

それはまず、「声をあげていい」という事実を知ること。
そして、たとえ時間がかかっても、「自分の感じていた痛みは本物だった」と認めること。
さらに、「自分には価値がある」ともう一度信じ直すこと。
このプロセスはとても苦しい。簡単なことではない。
けれど、自分を取り戻す道は、確かにそこにある。

社会もまた、「虐待」という言葉にもっと敏感になる必要がある。
それは家庭内の問題ではない。個人の問題でもない。
虐待は「構造」の中で起きる。無関心な空気のなかで、堂々と育ってしまう。
だからこそ、「見えない暴力」に目を凝らし、「声なき声」に耳を傾けなければならない。

そして何より、過去に虐待を受けたすべての人に伝えたい。

あなたの価値は、誰にも奪えない。
たとえそれが奪われたと思えても、あなたの中には、今も確かに「生きる力」がある。
その力が、ここまであなたを連れてきた。
それは決して、誰かにコントロールされていいようなものではない。

「私は価値がない」という呪いの言葉に、どうか抗ってほしい。
あなたは、ここにいていい。
あなたは、大切な存在だ。

この世界がそのことを当たり前に言える場所になるまで、わたしたちは決して黙ってはいけない。

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不明 のアバター

Tetsuro Higashi

Tokyo Japn Photographer

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