
写真は町田市境川にて・・
私がなぜ「暴走族の歴史」を調べるに至ったか?
それは、町田市に住めばわかりますが、夜な夜な族らしき連中がうるさいのです。
東京都の暴走族史は、単に「昔、バイクで走っていた若者たち」という話ではなく、1950年代のカミナリ族 → 1970年代の巨大グループ化 → 1980年代の抗争・非行集団化 → 1990年代以降の縮小・分散化という流れで見ると非常に分かりやすいです。
警察白書などの公的資料と当時の記録を照合すると、東京は全国でも特に大きな暴走族文化の中心地でした。昭和48年(1973年)10月末の警察把握だけでも、東京213団体・5,921人とされています。(警察庁)
1.1950年代――「カミナリ族」の誕生
暴走族の直接の前身は、1950年代に登場したカミナリ族です。
警察白書によると、昭和30年(1955年)頃から、スピードとスリルを求めてオートバイを乗り回す若者が現れ、消音器を外して大きな音を出しながら走るようになりました。1959年頃には「カミナリ族」という呼び方が定着していきます。(警察庁)
東京では、
- 銀座・数寄屋橋
- 新宿
- 渋谷
- 青山・外苑
- 首都高速周辺
など、都市部の道路そのものが若者たちの舞台になりました。
この時代はまだ後の「暴走族」のような巨大な組織ではなく、バイク好きの若者の集団という性格が強かったと考えられます。
2.1960年代後半――「族」へ変化する
1960年代後半になると、東京のカミナリ族はさらに大規模化します。
1969年には、新宿副都心に毎週土曜日、約200人のカミナリ族が集まる状況が生じ、警視庁は大規模な取り締まりを実施しました。(ブラックエンペラー)
そして1970年代に入ると、
二輪車だけではなく自動車も加わる
ようになります。
警察白書は、1972年頃から二輪車だけでなく四輪車も使用され、集団走行・見物人・騒音・危険運転などが組み合わさって「暴走族」と呼ばれるようになったと説明しています。(警察庁)
3.1970年代前半――東京の「暴走族黄金時代」
ここが歴史上の大きな転換点です。
1973~74年頃になると、東京では暴走族が巨大なグループ・連合組織へと発展します。
代表的な名前として、
- ブラックエンペラー
- スペクター
- ルート20
- 極悪
- ジョーカーズ
- みなごろし
- 轟
- 武州連合
- ゼロ
- キラー連合
などが記録に登場します。
1973年10月末の警察把握では、東京だけで213団体・5,921人。(警察庁)
これは現在の感覚からすると驚異的な規模です。
4.ブラックエンペラーの登場
東京の暴走族史を語るうえで、避けて通れないのがブラックエンペラーです。
特定の一つの地域だけの小規模チームというより、複数の支部を持つ大きな組織へと発展しました。
一方で、
スペクター
ルート20
極悪
ジョーカーズ
なども東京各地に勢力を持ち、地域・学校・友人関係などを基盤にグループが形成されました。
警察白書によると、当時の暴走族は数人から数百人規模まであり、平均すると約40人。大きなグループは支部を持つ構造になっていました。(警察庁)
つまり、
「○○というチームがあった」
だけではなく、
本体 → 地域支部 → 地域のメンバー
という組織構造が形成されていたわけです。
5.1974~78年――「抗争」の時代
この時代になると、暴走そのものだけでなく、グループ同士の抗争が社会問題になります。
警察白書によれば、1974年には暴走族グループ同士の対立抗争が86回発生し、火炎瓶・こん棒などが使われるケースもありました。(警察庁)
東京でも、
ブラックエンペラー
vs
スペクター
vs
ルート20
vs
極悪
など、複雑な対立関係が生まれます。
1977年には東京・大井ふ頭で、スペクター約1,300人に対して極悪側が襲撃するという大規模な抗争が記録されています。(ブラックエンペラー)
この頃の大井ふ頭は、東京の暴走族史を象徴する場所の一つです。
6.町田も重要な地域だった
ここは、以前お話しした**町田の「ピエロ」「みなごろし」**にもつながります。
1978年7月15日、警察の記録には、
東京・町田市で「ピエロ」約150人と「アリーキャッツ」約150人が乱闘
とあります。(ブラックエンペラー)
つまり町田は、東京西南部の単なる「周辺地域」ではなく、1970年代の暴走族文化の重要な地域の一つだったことが分かります。
また1978年には、
ルート20
スペクター
みなごろし
ピエロ
などの名前が町田・多摩・神奈川方面の動きと関連して記録されています。(ブラックエンペラー)
これは、町田が地理的に
東京23区 ← 多摩地域 ← 町田 ← 神奈川
という交通・人的ネットワークの接点だったこととも関係しています。
7.1978年――暴走族史の大きな転換点
1978年12月1日、道路交通法が改正され、**「共同危険行為等の禁止」**が新設されました。
これが非常に大きかった。
警察白書によれば、その後、暴走族の活動はいったん大幅に減少しました。(警察庁)
ところが――
完全には消えませんでした。
8.1980年代――「第二次ピーク」
1979年頃から再び活動が活発になります。
1980年には、警察が把握する全国の暴走族が、
40グループ・3,585人
に達したと警視庁が発表しています。(ブラックエンペラー)
全国でも1980年11月時点で、
754グループ
約39,000人
となり、構成員数は過去最高を記録しました。(警察庁)
東京では、
- ブラックエンペラー
- スペクター
- ルート20
- 極悪
- みなごろし
- キラー連合
- 一寸法師
- ジョーカーズ
- マッドスペシャル
- ZERO連合
など、多数のグループが活動していました。
9.1980年代は「暴走族=バイク」ではなくなった
実はここが重要です。
警察白書によると、1970年代後半には、
二輪車:約35%
四輪車:約65%
という構成になっていました。(警察庁)
つまり、
「暴走族=バイク集団」
というイメージは、実態の一部にすぎません。
自動車による集団走行がかなり重要になっていました。
10.東京では「地域」と「学校」が重要だった
1981年の警察白書は、東京の暴走族について非常に興味深い分析をしています。
暴走族は、
中学校時代の仲間・番長グループ
などを母体として形成されるケースが多く、出身中学校を中心とした人間関係がその後の暴走族加入につながっていたとされています。(警察庁)
東京では特に、
城東
下町
城南
などで暴走族構成員が多かったと警察白書は分析しています。(警察庁)
つまり、
「バイクが好きだから集まった」
だけではありません。
地元の仲間意識・学校・地域社会・上下関係
がかなり重要だったのです。
11.1980年代後半――「巨大な族」が崩れていく
1980年代後半になると、警察の取り締まり強化、道路交通法の改正、免許行政、少年補導、車両規制などによって、1970年代型の巨大暴走族は徐々に力を失います。
さらに、
- オートバイ・自動車文化の変化
- 若者文化の多様化
- ディスコ・音楽・ファッションなどへの分散
- 警察による徹底した取り締まり
- 暴走族内部の世代交代
などが重なります。
「数百~千人規模で一つの場所に集まる」
という1970年代型のスタイルは、次第に成立しにくくなっていきました。
12.1990年代以降――「暴走族」から「旧車會」などへ
1990年代以降になると、かつてのような巨大組織は急速に減少します。
一方で、
旧車・改造車・バイク文化
そのものが消えたわけではありません。
暴走族OBを中心とする「旧車會」など、暴走行為そのものより、旧型バイク・改造・仲間との交流を中心とする文化も生まれました。
ただし、現在でも違法な集団走行や騒音運転などは存在します。
東京の暴走族史を「5期」にすると
私はこう整理すると一番分かりやすいと思います。
第1期 1955~1969
カミナリ族の時代
バイク・スピード・騒音。
↓
第2期 1970~1974
暴走族成立期
二輪+四輪。
グループ化。
↓
第3期 1974~1978
巨大暴走族・抗争の時代
ブラックエンペラー
スペクター
ルート20
極悪
ジョーカーズ
みなごろし
ピエロなど。
東京の暴走族文化が最も巨大化。
↓
第4期 1979~1980年代
第二次ピークと組織抗争
道路交通法改正後も復活。
地域支部・連合・抗争が続く。
↓
第5期 1990年代~現在
分散・縮小・変質
巨大組織は衰退。
旧車會などへ文化の一部が継承される。
そして、東京の歴史で特に面白いのは「地域差」です
東京を一括りにすると見えなくなります。
大まかには、
城東・下町
→ 極悪、一寸法師など
城南
→ ブラックエンペラー、スペクターなど
渋谷・新宿・原宿
→ 都心型の集結・走行
多摩東部
→ ルート20など
町田・多摩南部
→ ピエロ、みなごろしなど、神奈川方面との接点
というように、地域ごとにかなり異なる「族文化」が形成されていました。
そして町田については、以前お尋ねになった「ピエロ」「みなごろし(金鹿)」を単独で調べるより、「町田・相模原・多摩・八王子・府中・調布を結ぶ南多摩の暴走族史」として見ると、かなり実像に近づきます。
特に1970~80年代の「町田ピエロ」「みなごろし(金鹿)」「ルート20」「スペクター」「アリーキャッツ」などが、どの地域を本拠にし、どのチームと対立・連合していたのかは、新聞記事や警察資料を年代順に追うと相当詳しく復元できます。