暴走族「暗黒史」――東京を中心に

「暴走族暗黒史」という切り口なら、単なるチーム名や抗争史ではなく、なぜ暴走族が生まれ、なぜ巨大化し、暴力・犯罪・死亡事故・少年非行と結びつき、そしてなぜ衰退したのかを見るのが本質です。

暴走族「暗黒史」――東京を中心に

1.出発点は「不良」だけではなかった

1950年代のカミナリ族には、純粋にバイクの速度や改造を楽しむ若者もいました。

しかし1960~70年代になると、仲間集団が強固になり、

バイク → 集団走行 → 威圧 → 地域の縄張り意識 → 上下関係

という構造が生まれていきます。

ここから暴走族は単なるバイク文化とは違うものになっていきました。


2.1970年代――巨大化した「若者の階層社会」

1970年代の東京では、数十人規模どころか数百人規模のグループが存在しました。

警察白書によれば、1973年10月末の東京では213団体、5,921人が把握されています。

この巨大化を支えたのが、

  • 地元の先輩・後輩関係
  • 中学校時代からの仲間
  • リーダーへの絶対的服従
  • 「地元」という帰属意識
  • 他グループとの対抗意識

でした。

つまり暴走族は、一種の若者の閉鎖的な社会になっていきます。


3.「族名」がブランドになった

ブラックエンペラー、スペクター、ルート20、極悪など、名前そのものが「ブランド」になりました。

特攻服、旗、ステッカー、改造車などが、

「俺たちは何者なのか」

を表す記号になったのです。

そのため、他のグループとの衝突は単なる喧嘩ではなく、

「族の面子」

をかけた争いになりました。


4.暗黒化した最大の原因――「抗争」

1970年代半ばになると、暴走族同士の抗争が深刻化します。

警察白書によれば、1974年には暴走族同士の対立抗争が86回発生しています。

武器が使われるケースもあり、

こん棒
鉄パイプ
刃物
火炎びん

などが登場します。

ここまで来ると、

「バイクで暴走する若者」

ではありません。

組織的な少年・青年犯罪集団

という側面が強くなります。


5.東京では「大井ふ頭」が象徴的だった

1970年代の東京で特に象徴的なのが大井ふ頭です。

広い道路、工業地帯、夜間の交通量の少なさなどから、暴走族が集まりやすい場所になりました。

1977年には、大井ふ頭でスペクター約1,300人に対して別グループが襲撃するという、大規模な抗争が記録されています。

これは1970年代東京の暴走族文化が、いかに巨大化していたかを象徴する事件です。


6.「死」も暴走族史の一部だった

暴走族の暗黒面で最も重いのは、交通事故による死傷者です。

高速走行、信号無視、集団走行、追跡、無免許運転、飲酒運転などが重なり、

本人だけでなく、同乗者や一般市民まで巻き込む事故

が発生しました。

したがって、

「本人たちが危険を承知で走っているだけ」

では済まなかった。

暴走族が社会問題として強く取り締まられるようになった最大の理由の一つです。


7.「暴走」から犯罪への境界がなくなった

一部の集団では、

暴走

恐喝

傷害

窃盗

薬物

暴力団との接触

という犯罪への連鎖が問題になりました。

もちろん、暴走族=全員が犯罪者ではありません。

しかし、暴走族の人間関係が犯罪グループへの入口になるケースがあったことは、警察資料でも問題視されています。

ここが「暗黒史」の核心です。


8.少年たちはなぜ入ったのか?

ここを「不良だから」で片付けると、歴史を誤ります。

警察白書の分析では、暴走族への加入には、

学校の仲間
地元の友人
先輩・後輩関係

などが大きく関係していました。

つまり、

「居場所」

だったのです。

家庭・学校・社会に居場所を感じられない少年が、

「族に入れば仲間がいる」

と感じる。

そして、

仲間 → 組織 → 上下関係 → 忠誠 → 抗争

へ進んでいく。

この構造こそ、暴走族問題の社会的な暗部でした。


9.「特攻服」は単なるファッションではなかった

特攻服には、

名前
所属
地元
族名
刺繍

などが入りました。

これは現代的に言えば、

「所属するコミュニティを身体に表示する制服」

に近いものです。

だからこそ、他グループの特攻服を着た人物が敵対地域に入れば、挑発と受け取られることもありました。


10.1978年――国家が本格的に反撃

大きな転換点が、

1978年12月1日の道路交通法改正

です。

「共同危険行為等禁止規定」が設けられ、集団暴走そのものを取り締まりやすくなりました。

これによって、1970年代型の大規模暴走は大きく抑え込まれていきます。

しかし――

完全には消えませんでした。


11.1980年代――「第二次暗黒期」

1979年以降、暴走族は再び増加します。

全国では1980年に、

754グループ・約39,000人

が警察に把握され、過去最大規模となりました。

東京でも、

ブラックエンペラー
スペクター
ルート20
極悪
みなごろし
キラー連合

など、多くのグループが活動しました。

この時期になると、暴走族と非行少年グループ、チンピラ集団、暴力団周辺との境界が曖昧になるケースも現れます。


12.そして「暴走族の終焉」

1990年代になると、

  • 取り締まり強化
  • 少子化
  • 自動車・バイク文化の変化
  • 携帯電話・インターネットの普及
  • 若者文化の分散
  • 暴走族への社会的拒絶

などが重なり、巨大な暴走族組織は急速に縮小します。

かつての、

数百人が一斉に走る

というスタイルは、次第に成立しにくくなりました。


暴走族「暗黒史」の本当の意味

私は、暴走族の歴史を単純に

「昔の不良少年は怖かった」

という話にしてしまうのは、もったいないと思います。

むしろ、

戦後日本の高度経済成長の裏側で、都市化・核家族化・学校社会・地域社会の変化の中から、若者たちは「地元」という新しい共同体を作った。

その共同体が、

仲間意識 → 組織化 → 上下関係 → 排他性 → 対抗意識 → 暴力

へ変質していった。

これが「暴走族暗黒史」の核心だと思います。

そして東京の場合、新宿・渋谷・城東・城南・大井・多摩・町田・八王子などで、それぞれ違った暴走族文化が形成されたことが非常に興味深いところです。

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Tetsuro Higashi

I was born and brought up in Tokyo Japan. Now I teach mathematics . At age 20 I took up painting. I took up taking photos before 5 years. I have learned taking photos by myself . I grew up while watching ukiyo-e and have learned a lot from Sandro Botticelli , Pablo Picasso. Studying works of Rembrandt Hamensz . Van Rijn, I make up the light and shadow. * INTERNATIONAL PHOTO EXPO 2015 / 26 February ~ 31 March Piramid Sanat Istanbul, Turkey * World Contemporary Art 2015 Nobember Piramid Sanat Istanbul, Turkey * Festival Europeen de la Photo de Nu 06 ~ 16 May 2016 Solo exposition at palais de l archeveche arles, France *2016 Photo Beijing 13~26th October *Sponsored by Tetsuya Fukui 23 February - 02 March 2019 Cafe & Bar Reverse in Ginza,Tokyo,Japan *Salon de la Photo de Paris 8th – 10th – 11th 2019 directed by Rachel Hardouin *Photo Expo Setagaya April 2020 in Galerie #1317 *Exhibition NAKED 2020 in Himeji    Produce : Akiko Shinmura      Event Organizer : Audience Aresorate December 1th ~ 14th  2020

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