
写真が「装置」になるとき
私は今、写真を「完成品」ではなく「思考の装置」として捉えている。
それは一方通行の表現ではなく、双方向的なやり取りの始まりだ。
撮影者が一方的に「これが伝えたいことだ」と主張するのではなく、見る者がその写真に「自分自身の問い」を重ね合わせ、心の中で対話を始める。
ときにそれは記憶を呼び起こし、ときに痛みを喚起し、ときに怒りや共感へとつながっていく。
写真が「自分とは何か」を問う鏡となり、
「社会とは何か」「美とは何か」を問う窓となる。
そうして生まれる“揺らぎ”こそが、現代における写真のもっとも大きな価値ではないだろうか。

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Traveler of Time Naked Truth