“固定された記録”から“流動的な記憶”

また、「カメラに媚びない」姿勢が与える影響は、写真の持つ物語性にも大きく関わってくる。モデルが笑ったり、カメラを見つめてポーズを取った瞬間、その写真には“意図”が明確に生まれてしまう。誰に見せたいのか、どう思われたいのか——そういった意識が写り込む。しかし今回のモデルにはそうした要素が希薄であり、だからこそ「誰のためでもない存在」としての写真が成立した。それは逆説的に、見る側に強く訴えかけてくる。なぜこの女性は笑わないのか、なぜこの構図で、なぜこの空間なのかと——。

写真という表現は、常に「見る人に委ねる」部分がある。私はシャッターを切ることで何かを決定しているように見えて、実は“余白”を残すことを常に意識している。モデルの自然体というのは、単なる無表情や無関心ではなく、見る側に想像を促す“余白”の提供に他ならない。言い換えれば、被写体の中に“物語の導線”を意図的に残しておくことで、観る者はそれぞれの解釈を持ち込むことができる。その結果、写真は“固定された記録”から“流動的な記憶”へと変わっていく。

最終的に私がこのシリーズで目指したのは、エロティシズムの排除ではなく、その再定義だった。単なる肌の露出や視線の艶かしさではなく、「ただそこに存在していること」そのものにエロスを見出す——そんな視点で写真を構築した。モデルがカメラに媚びないということは、ある意味で、観る側にも媚びないということだ。そうした作品が生まれた時、私は初めて「記録者」としてではなく「媒介者」として機能したような気がする。

この作品が誰かにとっての「フェチ」に触れ、心のどこかをざらつかせるものであれば、私はそれを喜びとして受け取る。写真は、言葉以上に正直な“嗜好の鏡”だからこそ、撮り手にも、観る者にも、静かに問いかけてくるのだ。

model:nyataoshi (instagram)  photographer : syuppo

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Tetsuro Higashi

Tokyo Japn Photographer

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