夫が亡くなって三年になる。
美沙は今も、夕食の支度をするとき、ときどき茶碗を二つ出してしまう。気づくと一つを食器棚に戻す。その癖を、誰にも話したことはなかった。
木曜日の午後、美沙は隣町の喫茶店へ出かけた。
窓際の席には、亮介が先に座っていた。夫の弟だった。
「今日は雨になるらしい」
亮介はそう言って、向かいの椅子から鞄をどけた。美沙のための紅茶は、まだ注文されていなかった。以前、待たせると冷めてしまうから、と美沙が言ったのを覚えていた。
二人がここで会うようになったのは、半年前からだった。
最初は夫の遺品の相談だった。次は相続の書類。その次にはもう、持ってくるものがなくなった。それでも亮介から「木曜日は空いていますか」と連絡が来て、美沙は「午後なら」と答えた。
家族には話していない。
一度だけ、義母が何気なく言ったことがあった。
「あなたと亮介が近くにいてくれると、あの子も安心でしょうね」
美沙はうなずいた。その言葉を聞いてから、会う日には指輪を外すようになった。
「来週、母のところへ行こうと思ってる」
亮介が言った。
「そう。私も先週行ったわ」
そこで会話が途切れた。
亮介はカップの取っ手に指をかけたまま、美沙を見た。
「このまま、ここで会うだけでいい?」
美沙は窓の外へ目を向けた。向かいの店で、店員が庇の下へ商品を運んでいる。
「あなたは?」
「僕は、隠したくない」
答えが早かったので、美沙はかえって何も言えなくなった。
夫の葬儀の日、亮介も泣いていた。あのとき美沙は、彼にハンカチを渡した。その人の手を、今は自分が握りたいと思っている。
「でも、あなたに無理をさせたいわけじゃない」
亮介が付け足した。
美沙は膝の上で鞄を開けた。内側の小さなポケットに指輪が入っていた。外したのは家を出る直前だった。そのときは、帰ったらまたはめるつもりだった。
「夫のこと、忘れたわけじゃないの」
「うん」
「これからも、忘れないと思う」
「わかってる」
美沙は顔を上げた。
「本当に?」
亮介は少し考えてから答えた。
「全部は、わからない。でも、兄さんの話をしてもいい。僕といるときも」
紅茶が運ばれてきた。美沙は礼を言い、湯気が薄くなるまでカップに触れなかった。
やがて雨が降り出した。
店を出るころには、通りの人々が傘を開いていた。亮介が自分の傘を広げ、美沙が入れるように持ち上げる。
これまでは、駅まで少し距離を空けて歩いていた。
「次の木曜日は」
美沙が言いかけると、亮介が振り向いた。
「うちで、お茶にしませんか」
亮介は黙っていた。それから、確かめるようにうなずいた。
美沙は傘の下へ入った。肩が触れたが、離れなかった。
鞄の中には指輪があった。夕方には義母から電話が来るかもしれない。何を、どこまで話せるのか、まだわからなかった。
駅へ向かう角で、美沙は亮介の手を取った。
FANZA無料サンプル動画一覧
人気・おすすめ
女性・人物別
ドラマ・ストーリー
フェチ・その他
*18歳以上を対象とした紹介ページです。
