「生徒指導 麻紀先生の裏の顔」
麻紀先生から電話が来たのは、私が四十歳を過ぎた秋だった。
「同窓会のことで、少しお願いがあるの」
声だけで、教室の廊下を思い出した。私はそこで何度も呼び止められた。遅刻、制服の乱れ、提出していない進路希望調査。先生はいつも、私が言い訳を終えるまで待ってから話した。
私が覚えていたのは、その沈黙だった。
幹事を引き受けた私は、翌週、先生と駅前の喫茶店で会った。先生は六十代になっていた。椅子に座る前にコートを丁寧に畳む仕草は、昔と変わらなかった。
「私、今回は欠席にしてほしいの」
「何かご予定が?」
「そういうことにしておいて」
私は手帳に、欠席、と書いた。
先生はその文字を見て、小さく息を吐いた。それから、煙草を吸える店は近くにあるかと尋ねた。
驚いた顔をしたのだと思う。
「吸うのよ、私も」
先生は笑った。
高校時代、私は煙草を見つかり、放課後の指導室に座らされたことがある。机の上に置かれた箱を、先生は一度も手に取らなかった。
「あのとき、先生に言われました。自分の身体を粗末にするなって」
「そんなことを言った?」
「言いました」
「立派なことを言っていたのね」
その言い方に、私は少し腹が立った。
私にとっては、長く残っている言葉だった。先生はそれを、忘れていた。
店を出て、喫煙席のある古い喫茶店へ移った。先生は窓際に座り、鞄から煙草を取り出した。火をつける手がわずかに震えていた。
「同窓会、私が行くと気を使うでしょう」
「そんなことはありません」
「先生だった人が来ると、みんな生徒に戻るのよ」
私は何も答えなかった。
実際、会えばまず、仕事のことを説明しようと思っていた。会社を辞め、今は小さな印刷所で働いている。先生にどう話せば、落ちぶれたと思われずに済むか。それを電車の中でも考えていた。
「私ね、学校にいた頃から、帰宅すると何もしたくない日があったの」
先生は灰皿の縁に煙草を置いた。
「人に注意して、人の話を聞いて。それなのに家では、娘の話を聞けなくてね」
娘がいることは知っていた。けれど、先生が母親として困る姿を、私は一度も想像したことがなかった。
「何年も、連絡が来ない時期があった」
先生はそこで話をやめた。
私は続きを待った。指導室で先生が私の言い訳を待っていたように。しかし、待てば話してもらえるというものではなかった。
「ごめんなさい。幹事さんにする話じゃなかったわね」
「いえ」
私はコーヒーに手を伸ばした。もう冷めていた。
先生の裏の顔を知った、と最初は思った。
厳しい教師が煙草を吸い、家庭のことを悔やんでいる。昔の仲間に話せば、意外だと笑うかもしれない。
だが、その考えが浮かんだとき、私はようやく自分の幼さに気づいた。学校で見せていた顔を本当だと決め、それ以外を裏と呼んでいるのは私だった。
「先生」
そう呼ぶと、彼女は習慣のように顔を上げた。
「僕、会社を辞めたんです」
用意していた説明とは違う言葉が出た。
「今の仕事は、給料は下がったけど、前より眠れます」
麻紀先生はうなずいた。
「そう。眠れるのはいいわね」
それだけだった。
励ましも、忠告もなかった。私は少し物足りなく感じ、同時に、ほっとしていた。
帰り際、先生は同窓会の会費を払おうとした。私は欠席の人からは受け取れないと言った。
「じゃあ、お茶代は」
「今日は僕が」
彼女は一度だけ断り、それから財布をしまった。
駅の改札で別れたあと、私は手帳を開いた。「麻紀先生、欠席」の横に書きかけていた理由を消した。
その夜、幹事の連絡欄には、欠席の知らせだけを送った。喫茶店で聞いたことは書かなかった。
先生から教わって、ようやくできるようになったことが、まだあった。
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