「木の軋む音、障子のゆれる気配、畳の香り」

photographer : syuppo

model : kuroneko-koyomi    instagram : kuro.neko216

また、古民家という空間の選択も極めて意図的である。この場は単なる背景ではなく、撮影の「もうひとつの被写体」として機能している。時間の層を纏った建物の呼吸が、被写体の存在と呼応しているのだ。そこには人為的な演出では生まれ得ない、場の力が作用している。木の軋む音、障子のゆれる気配、畳の香り──写ってはいないそれらの感覚までもが、写真を通じて想起される。

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日本の美とは、常に「余白」にある

photographer : syuppo

model : kuroneko-koyomi

日本の美とは、常に「余白」にある。それは、描かれたものよりも描かれていない空間、語られる言葉よりも語られない沈黙、派手な装いよりも静かな存在感に宿る。この写真群は、まさにその「余白」を可視化することに成功している。被写体の動きはごくわずかで、視線の移動や体の角度の変化すら最小限に留められている。しかし、それが故に、一枚一枚の写真が持つ静的な力が強く、観る者の内面に語りかけてくるものがある。

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「被写体と空間への敬意と直感に導かれている」

photographer : syuppo

model : kuroneko-koyomi

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このような静謐さを作品に宿すには、確かな眼差しと距離感が求められる。撮影者はモデルとの間に適度な距離を保ちつつ、どこかで深く理解し、信頼している。光の入り方、構図の選び方、視線の切り取り方──どれもが極めて抑制され、しかし計算され尽くしている。あるいは、計算というよりは、被写体と空間への敬意と直感に導かれているのかもしれない。

特筆すべきは、光の扱いである。朝の淡い光、夕暮れの柔らかな陰影、障子越しのほのかな照り返し。いずれも自然光が中心で、人工的な照明の演出は排除されている。光は静かに差し込み、モデルの頬や衣に触れ、そして古民家の質感を浮かび上がらせる。その様子は、まるで時間が一瞬止まったかのような錯覚を与える。そして、こうした時間の「間」にこそ、日本の美は宿るのだと改めて思い知らされる。

(彼の)邪魔だけはしたくない、最期だからね 「遠くへ行きたい」

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一昨日の夕方、

70年来の友人から電話があり

「元気かよ・・」

僕が「うん」と言うと、

(彼は)しっかりした声で

「骨髄性○○○になっちゃって、2,3週間しか持たないかもしれない」

「薬が効けば、3か月くらいかな、年は越せそうにない」

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小1からの同級生でもあり

僕が「俺にできることはあるか?」と言ったら

「ありがとう・・」

そこで電話は切れた。

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面会謝絶状態だからね、見舞いにも行けない。

俺に何が出来るんだろう・・

などと思いつつ

(彼の)邪魔だけはしたくない、最期だからね。

永遠の嘘をついてくれ 

吉田拓郎っていいね

中島みゆきもね。

この曲が流行った頃はスルーしていたのに

今はしっかり受け入れられる。

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・・こうして、たくさんのいいものを見過ごしてきたのでしょ。