同窓会の名札には、旧姓が印刷されていた。
「三浦由紀」
由紀はそれを胸につけてから、二十七年ぶりにその名前を呼ばれる準備をした。四十五歳になった今の名字は、受付で渡した名簿にだけ残っていた。
「三浦」
振り返ると、遠藤が立っていた。
髪に白いものが混じり、眼鏡をかけていた。それでも、片方の肩を少し下げて立つ癖ですぐにわかった。
「遠藤くん、変わったね」
「変わってないって言われるより、安心する」
由紀は笑った。高校時代も、彼は返事に困るとこういうことを言った。
二人は三年の冬に一度だけ、駅まで一緒に帰ったことがある。由紀の手袋が片方なくなり、遠藤が自分のものを貸してくれた。返す機会を待っているうちに卒業し、紺色の手袋は何年も机の引き出しに残った。
宴会の間、二人は別々の席にいた。
遠藤が娘の受験の話をしているのが聞こえた。由紀も隣の友人に、夫が最近料理を覚えた話をした。どちらも嘘ではなかった。
二次会を断ってホテルの玄関に出ると、遠藤が傘を持っていた。
「駅まで?」
「うん」
雨は細かく、傘の外では見えないほどだった。
歩きながら、由紀は手袋の話をした。
「返さなくて、ごめんね」
「忘れてた」
「私は覚えてた」
遠藤が足を止めた。
その沈黙の長さを、由紀はあとになって何度も思い出すことになる。
駅前の信号が青に変わった。人々が二人を追い越していったが、二人は渡らなかった。
「もう少し、話せる?」
遠藤が言った。
由紀は鞄の中の携帯電話を確かめた。夫から、〈迎えは必要?〉と届いていた。
〈大丈夫。先に寝ていて〉
送信してから、画面を伏せた。
ホテルの部屋に入るまで、二人は高校の話を続けた。担任の口癖、なくなったパン屋、文化祭の雨。扉が閉まると、それらの話は急に続かなくなった。
「帰るなら、今でも」
遠藤が言った。
由紀はうなずいたが、帰らなかった。
窓際の椅子に鞄を置いた。遠藤が近づき、由紀の頬に触れる前に手を止めた。彼女はその手に、自分の手を重ねた。
その夜のことを、由紀は懐かしさだけでは説明できなかった。目の前にいたのは十八歳の遠藤ではなく、妻と娘のいる、疲れた顔の男だった。自分もまた、誰かの妻として暮らしてきた年月を持っていた。
互いにそれを知りながら、朝まで一緒にいた。
午前五時、遠藤の携帯電話が震えた。彼は画面を見て、すぐに伏せた。由紀は誰からか尋ねなかった。
帰り支度をするとき、胸につけたままだった名札が床に落ちた。
遠藤が拾い、差し出した。
「連絡してもいい?」
由紀は名札を受け取った。
返事をするまでに、少し時間がかかった。
「しないで」
遠藤はうなずいた。由紀も、彼の番号を尋ねなかった。
駅では別々のホームへ向かった。振り返ればまだ見える距離だったが、由紀は階段を上った。
家に着くと、台所に鍋が置いてあった。夫の字で、〈味噌汁、温めて〉というメモがあった。
寝室から寝息が聞こえた。
由紀は名札を鞄から出し、しばらく手の中で曲げた。捨てようとして開けたごみ箱には、夫が刻んだねぎの切れ端が入っていた。
名札を捨て、鍋を火にかけた。
沸騰する前に火を弱めなければならない。夫はそれをまだ覚えていない。
由紀は鍋の前に立ったまま、夫が起きてきたら何と挨拶するのかを考えていた。
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