写真家として考える「本当の人間」
私は長年、人物を撮影してきた。
写真を撮るとき、私が関心を持つのは、単に美しい顔や整った身体ではない。
その人が、ふとした瞬間に見せる、作為のない表情や仕草である。
カメラを意識して作られた笑顔よりも、視線を落とした瞬間の沈黙に、私は強く惹かれることがある。
そこには、本人さえ意識していない何かが現れる。
私はそれを、その人の存在の一端だと考えている。
もちろん、写真に写った姿が、その人の「真実」のすべてであるはずはない。
人間には、他人には見せない顔があり、自分自身でも理解できない感情がある。
だからこそ、人物を撮ることは難しく、そして面白い。
太宰治が文学によって描こうとしたものと、私が写真によって捉えようとしているものには、どこか共通する部分があるように思う。
それは、社会的な役割や外見の奥に隠された、人間という存在の不可解さである。
太宰は言葉によって仮面の内側を描き、私は光と影によって、その内側を想像しようとする。
方法は違っても、人間を理解したいという欲求は、同じなのかもしれない。