Waka : 言語によって語り尽くせるという”既成概念”

私は、日本の文化と伝統美を基準にしてしか考えないところがあって、それは当然と言えば当然なことで、詰まるところ、自分の美意識に基準があるのであって、他(西洋や中国大陸など)のいかなる文化圏とも一線を画して、私自身でもある日本の文化と伝統美にある種の”確信”をもって”モノ創り”を続けているので・・。

 私にとっては、作品在りきであって、その作品についてコメントや説明をしないことにしている。 ところが、西洋や中国大陸へ行くと、作品が出来上がる過程を尋ねてくるし、また、作者はその過程を”正しく”説明する勤めがあると考えている。

 そのような説明をすることが”当然”と考えていることの根底には、言語によってすべては語り尽くせるという”既成概念”を彼らは共有しているようなのだ。 したがって、展示会場では、様々な質問に晒されることになる。 日本語でも応えられないような質問を浴びせられ、困惑する。 

日本においても同様な質問・疑問を問いかけられるが、「あなたの作品は、アジア人のそれとは違う」ということ。 西洋人の多くは、アジア人は”こういう作品”を作るという”固定観念”に近いものがある。 ところが、私の作品は彼らの期待を裏切っているらしい。 

だから、私から彼らに逆に質問することがある・・・「何処の文化圏の作品に見えますか?」と。 彼らは、僕の質問には困ってしまうらしく、応えは返ってこない。 彼らにとっては、過去に見たことのない斬新な感性を感じるらしい。 少なくとも、写真の世界では僕に似た人はいないらしいことは想像がつく。 そこは、僕の”優位点”であると思う。 

 

イスラムであれば「コーラン」という聖典に、キリスト教であれば「バイブル」に、全てを語り尽くしてますが、この国においては”座禅組んで瞑想してろ!”ってところでしょう。 イスラムもキリストも価値観が一律で理路整然としてますね。 それが、我々にとっては、”硬く”感じるし、ときとして(行動の結果を見れば)”野蛮”にも見えてくる。 

 この国の文化はしなやかで煌びやかで限りなく奥の深い文化なのですから、それを”曖昧な”などという安易な言い方は止めるようにしましょう。