Kaosu : 悪名は無名に勝る

政治の世界では、政策を打ち出せば批判・パッシングの嵐に晒されることはよくあること。 まぁ、表に出るから叩かるわけで、表に出なければ存在意義もない‥と言う意味で、「悪名は無名に勝る」という言い方があるわけです。

このモデルとのコラボにおいても、私の編集手法においても、人によってはそれなりの批判は承知の上。 特に、私の編集方法に関しては、全国的にワークショップを展開している写真家から(嫌がらせに近い)コメントも頂いた・・「原画を送ってくれませんか?私が編集すればもっと良い作品になります」と。 Higashiは写真にとって最も大切な画質(クオリティー)をぶち壊しているので、”邪道”であると・・。

上手く編集すれば画質は良くなるというのは勘違いで、編集すれば必ず原画に変化をきたすわけですから、画質は劣化します。 ”絶対的な美”なるものを想定する人がいるならば、(私から見れば)それは変な人(稚拙な人)なので、美の世界であっても、相対的に成り立っていると考えるの普通(心理)です。 

他のページでも書いてますが、写真を立体的に撮ろとは思ってませんから、ライティングもその考えに沿ってやってます。 できる限り平面的に撮り、線を強調することによって、”日本画”のような画面を展開することを目指してます。

要は、線を強調する編集をすれば、画質はかなり劣化します・・画像を拡大すれば、かなりザラザラ感のある質感が見えるはずです。 Photo in Beijing 2016 での展示作品は、全て「このような編集をした作品」ばかりでしたが、観に来ていた若者たちがかなり興奮していたようで、盛んに私に質問を浴びせてきました・・「これこそ、アートだ!」と。 そして、「どのようにすれば、このような画像になるのか?」と。 私は答えました・・Googleから無料配布されるソフトを使ってますが、残念ながら、ここ中国ではそこ(Google)にはアクセスすることが出来ませんと。

Kaosu : モデルの心意気に応えているだろうか?

これは普通に思うことだが・・モデルの心意気に応えているだろうか?と思うことはある。 モデルにしてみれば、私の撮影に対するコンセプトに応えているかどうか?と考えることと同じことかもしれない。

このモデルとは、3か月に一度くらいのペースで撮影を続けていく約束をしている。 私は年齢からして、それほど変わりようはないが、モデルのふり幅は想像以上に大きい。 そんな変わっていく姿に立ち会え、それを記録できることは写真家としてはとても恵まれているのかもしれない。