この画像を見て、作品に対する理解が得られないということであれば、それは仕方のないことで、ある一定の人たちに分かればそれで良いと思っている。 ”普通の人たち”の多くは、その行為をどれくらいのお金になったか?で判断することが多い。 写真家としての私は”大赤字”で、その意味では、”普通の人たち”からの”(お金にならないという意味で)存在意義”は薄い。 お金にならないことをやっていること自体に意味を見出せない人たちは多いので。
私にはマネージャー的な役割をしてくれる人がいない・・というか、フランスに著名なキュレイターが付いていたのだが、性格的な問題で私から断ってしまった。 ギャラリーと契約するとか、事務所とのコネクションをもつとか、色々あるのだろうが、年中フランスにいるわけでもなく、ましてや、コロナ禍でもあり、事は進まないでいる。
撮影機材にかかる費用くらいにはなっているが、労働に対する対価は0に等しい。