なぜ、多くの写真家がストイックな傾向になるのか?
カラーフィルムが出てくる以前は、モノクロであることは当然なのですが、
展示会などでは、未だにモノクロ画像も多く存在する
(彩度、明度、色相という3要素の中の)彩度と色相を切り捨て、
明度だけで画像の”表情”を創ろうとする
そこには、二つの理由があると思っている
1つは、色を切り捨てることによって、明暗だけに絞り込もうとするストイックさにあり
もう一つは、色という要素を考慮するとなると、撮影は限りなく難しく、
また、編集段階においても”面倒”なことになるから・・
(言うまでもなく、木炭デッサンが美しいことと同様に、
モノクロ写真特有の美しさはある)
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この撮影では、スタイリストは使わず(予算的に使えない)、
モデルと私の二人で作品創りに臨んでいるが、
背景の屏風、着物、床の畳、モデルの口紅、マニキュアなど、
全ての色合いを考えることは非常に難しい
写真家なら誰でも知ってることですが、
目の前で見る”光景”と写り込むデータとでは、全く違う
ライティングされた中で、どう写り込むか?を想定しなくてはならない
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この画像は、彩度を少し抑えているが、それ以上の編集はしてない
かなり、原画に近い
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ちなみに、この画像をモノクロにすると、かなり退屈な写真になる
カメラの設定も、モノクロにしたことはないし、これからも、そうしようとは思わない
影がどう写り込むか?でライティングを決めるが、
明暗よりも色合いで撮っているような気がする
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”写真道”なるものを説く人はいるが、私にはよく分からない
写真は(従来の概念としての)写真ではなく、どこまでもアートであってほしい
美意識が写真を撮らせることは確かだが、哲学や倫理観が写真を撮らせるといことはない
ただ、写真の中に(撮った人の)人として踏み行うべき行動の筋道、人としてかくあるべきという理想、倫理観なるものが見え隠れすることはあっても・・。