
ロジカルなアプローチ
私が2016年のフランス・アルルの展示会に招待されたとき、
「自己紹介・プロフィール」には、
作品へのロジカルなアプローチを記するようになってました。
また、同年に北京の写真祭に招待されたときも同様でした。
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アルルでは、メディアからそのアプローチを問われたし、
北京では、多くの学生から質問攻めにあいました。
また、EUの雑誌にはロジカルな評価(批判)が載ってましたが、
フランス語であることから、僕には良く理解できませんでした。
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現在の教育体制下では・・ 教える側も教わる側も、
「ロジカルなアプローチを学び、それらを出力する手段を学ぶこと」
が、教育の在り方だと信じてるようですし、実際に行われている。
(皆で合意できれば安心なのでしょうが、悲しい未来だけが待っている)
一生懸命勉強することが教養の基盤にはなるのでしょうが、
その努力が報われる(お金や地位が保証される)ことはないと思われます。
なぜなら、(ロジカルなアプローチは)AIにとって換わられるからです。
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大切なことは・・
感性・センス・鑑賞眼を養うことです。
”頂上”が見えない(感じない)ことにはアプローチのしようもないことです。
ロジカルなアプローチで頂上(普遍的価値観など)が
分かってくる(見えてくる)というのは多分に”ウソ”です。
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AIの出現によって、「学ぶこと」が「生きること」に
繋がらないようになってきました。
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上の画像に関しては、
ロジカルなアプローチなどは全くありません。
見えたまま、感じたままです。