なぜかしら あの頃・・

なぜかしら あの頃 ラジオから流れる気象予報が好きだった

アモイ とか チンタオとか 聞きなれない異国の名前が耳に残り 東南東の風 風力三 気圧九百二十ミリバール
というふうに次から次へと独特の抑揚を伴って 何か歌うように
各地の気象が流れてくるのが なぜかしらとても好きだった

放送時間が夕方4時ころだったのが きっとよかったのだ

懐かしく 今日という日が暮れかかり 夕食にはまだ少し間があり なんとなく曖昧な夕暮れの初めの時 それは一つの魔法のように 明日への微かな不安と憧れにも似た 柔らかな反省と予告を含み 子供から何かへ脱皮することへのその何かを指し示すような そんな明日への道を指し示すかのように 毎日の一つの確かな区切りとして その独特なリズムと予報は世界を刻んでいた
のだった

黄昏は人を郷愁へと誘う魔力がある
昼の太陽の熱い力がいつの間にか弱弱しくなり
夜の月のさやかな力が現れるその前の
世界の終末と新生との間の
怠惰な物憂い けれど 何かしら神神しい
天使と悪魔が共に夢見るような
善と悪が溶け入るようなそんなひととき

そうなのだ
人は眠りを経て新生するのではない
覚めるのは確かに眠りのあとだろう
しかし その目覚め 悟りを 静かに
準備するのは黄昏なのだ

人は黄昏という物憂い郷愁にくるまれて
知らずして胎内へとさかのぼる
そして 秘かに 夢の卵を産み付ける

夢の卵は夜の眠りの中で
孵化することもあるだろうし ないこともある
けれど 夢はないのでない
夢の卵は必ず眠りの中で増え続け
いつか眠りを食い破り外へと出てくる

ほら そのときが 君の死だ

text by Syoudou Sawaguchi

コメントを残す

コメントを投稿するには、以下のいずれかでログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中