”世捨て人の目”

花魁とはかく在るべき・・という「世捨て人の目」  model : H.S.  ヨーガのインストラクター。 私とモデルとの出会いは2013年、まだ私が写真家を名乗っていなかった頃。 FBにまだ若い子らが多く登録してた時代。 メッセンジャーを通して、撮影したいという依頼があり、初回とはいえ、すでにヌードでの撮影であった。 初期の3年間はヌードでの撮影が多く、その後は、野外での撮影を含め、回を重ねるごとにヌードでは撮らなくなった。 ヌードは公開しないという約束になっているので、それらの画像は載せません。 この花魁の画像は5年前、フランス・アルルでの展示会のための「作品撮り」であり、右下の画像は展示作品である。

「世捨て人の目」というタイトルでテキストを入れてよいのかどうか?迷ったが、あえて、断りなしに書き記してみた。 次回会って撮影することになっているので、その時に知らせるつもり(ちなみに、生後1年になる乳飲み子もいっしょ)。 今思えば、マタニティーフォトを撮れなかったことが悔やまれる。 この女性は、僕が元気でいる限り、ずっと撮り続けていくつもりでいる。 「世捨て人の目」とは、”艶やかではあるが生気が失せた目”というニュアンスで使っている。 

これら花魁の画像はすべて京都での撮影であり、腕の良いスタイリストもついており、衣装もメイクも申し分ない。 費用面では、東京から2人で新幹線で往復(60000円)、着付け料、6時間のstudio貸し切り料(80000円)、その他含めて(計160000円)。 

上の写真は、カツラが重く、首が痛いと言って不機嫌になっていた様子。 私がアマチュアだったころからの被写体であり、私に気遣いすることがない。 彼女が撮りたいときに撮り、気の向かなければ撮らない、そんな連続で7年間の付き合い。 食事をすれば割りかん、僕が出すこともあれば、僕がトイレに行っている間にレジを済ませていることも何度もあった。 人間関係において、他人に”借り”を作ることが嫌なのだろう。 気品というよりも、人としてのプライドが高い。 荒れた時期もそれなりにあり、私なんかより、ずっと世間を知り、心の闇も深いのかもしれない。 したたかでありながら、狡さがない。 所詮、私なんぞが敵う相手ではないのだ。 

これら上下4枚の写真・・様々な表情がありますね、たぶん、表情通り”様々な彼女”がいるのです。 アート的に撮りたいだけなのに、写真というのはしっかり記録してしまう。 100分の1の瞬間を記録するので、普段私たちが見逃している表情もしっかりとらえているのだろう。 ちょっと怖い気もする。 

私は、「花魁」をテーマに撮ることも多く、EUでの展示会に使う画像の多くは「花魁」である。 私事になるが・・・現在(70歳)に至るまで、女性を買ったことはない(僕の年齢で女性を買ったことない人は皆無に近い・・そういう時代だったからです)。 勤め人でなかったことから、接待を受けたことがないし、また、酒を飲まないので、そのような”間違い”を犯すこともなかったのでしょう。 また、キャバクラに行ったこともなければ、女性が接待するような場所に行ったこともない。 そんな自分(私)が遊女をテーマにして撮っているというのもおかしな話。 

ここから下は、普段の写真。 

真冬に相模湖に行った時の写真。 湖には乗り物などはあるが、とにかく人がいない・・こんなところでも過疎化が始まっている。 何とかならないのかね、商店街はシャッター通りになってしまって、5年前だから、コロナの前だしね。

スタジオ内での撮影。 

この女性は、良い意味で女性らしさの全てを備えているように思えた。 そして、私自身がどのような人間か?安全なんのか?そうではないのか・・その辺のところも見抜いていたに違いない。 そうでないと、会ったその日にヌードでの撮影をするわけはない(当時の私はアマチュアカメラマンであり、今の状況とは違う)。 出会った当時は、育ちの良さがそのまま伝わってきたが、生活自体は荒れていた。 気まぐれなところがあり、年に2、3回、前ぶれもなく「遊ぼ・・」などいうメッセが入り、車で海に行ったり、彼女が気が向けば撮影することもあった。

私とこの女性とは40歳以上は離れている。 だからといって、自分の子供のようだと思ったことはないし、孫であっても可笑しくない歳の差だが、自分ではその辺のギャップを感じたことはない。 実年齢よりも、精神年齢なのかもしれない。 たぶん、彼女の方から僕に合わせてくれているに違いない、そのことには感謝したい。

上の画像は、神奈川県にある湖に出かけた時のもの。 帰りに、運転にも疲れたので少し休んでいこうということになった。 レストランと思しき建物が見え、駐車場に車を止めた。 ドアを開けて出ようとする僕に「ここ、ホテルだよ」と。 時間が止まるというか、思考が止まるというのはこういう瞬間なのですね。 次の瞬間、横に座る彼女の横側を見たら、いつも通り、普通に窓の外を見ている。 特にかわった様子もない。 動じているのは僕だけなのか・・。 「あの時、何を考えていたの?」なんて、後になって聞くのは野暮な奴のすること。 迷宮入りにしといた方がよいこともある。 

血液型の話をしているときに、父親がAB型で母親がO型と話していた。 自分は母親に似てO型だと言っていた。 その時、私はそれは遺伝的には起こり得ないことだと分かっていたが、その話にはスルーした。 それから、半年くらい経った後に、父親は実の父親じゃないらしいと話してきた。 へぇ~そうなんだ・・と、ここでもスルーすることにした。 その後、その話をすることはない。 実の親かどうかなど、彼女にとってはどうでもよいことかもしれない。 

私は5人兄弟だが、私のすぐ上の兄貴か僕は、母親の実の子でないらしい。 親父が外でつくった子らしい・・事実は分からないのだが。 晩年、母親にボケが入ってきたころから、私の子供たち4人は・・と言うようになった。 そのことで、真実味を帯びてきたが、だからといって、今更どうなることでもないし・・ 

出会った頃の写真、貴重な一枚、プリントして保存している。

「不思議な関係」 誤解のないように書き記しますが、僕がカメラを構えているときは、普段とは”別人”なので、ファインダーから見える像(ヌード)の写り込みしか見てません(たとえ、ヌードの女性が目の前にいても)。 だから、撮影に集中できるわけです。 でも、女性の側からすれば、その日に3000回もシャッターが切られていれば、自分(女性)のヌードはしっかり見られてると思うわけです。 そこで、ある種の信頼関係も生まれますが、同時に、隔たりも出てきます。 

撮影の後には概して食事することが多いのですが、(私は)その女性のヌードを目の前にしていたのでしょうが、そのヌードを覚えていないわけです・・写り込みしか見てないので、記憶にないわけです。 (どの女性も、気にするように)他のモデルさんと比べてどうでしたか?というような質問をされるわけです。 「あまり覚えてないなぁ~」みたいな返事をすると、私は”その程度”なのか!みたいな、嫌な顔をされることもあります。 ゲイなのですか?とマジに聞かれたこともあります。 

この時は、真夏の夜中だったように記憶している。 私の車が背後に写っているが、この車も今は所有してない。 

この時に使っていたカメラは、Nikon D3 だったと思う。 夢中になって撮っていた頃で、写り込みに”勢い”が在ります。 初心は大切にしたい。