初めてのヌード

「初めてのヌード」 model : Kimiko Nakahara ・・・ 日本のフォト・モデル。 このカテゴリーで載せる画像はすべて彼女の創るポージングであり、写真家 (Tetsuro Higashi) がどのように画像に収めたのか、その記録である。

彼女がモデルをするようになったのも、ヌードで撮るようになったのも、僕がFBのメッセンジャーで「モデルをしてみないか?」というメールを送ったことから始まる。 ヌードでモデルをすることを快く承諾してくれた。 スタジオに来て撮影を始める前に、伝えたことは「カメラ目線にならないこと」、「たとえカメラを見ていなくても、カメラを意識しないこと」だけだったと記憶している。 この画像は初期に撮影されたものではないが、カメラ目線にはなってないし、結果として”媚”が入ることもない。

ポージングに関しては、model : Kimiko Nakahara に指示することはない。 私は、背景からライティング、衣装などを準備するだけで、ポージングはモデル任せで撮っていくことが多い。 撮影は全てスタジオで行われるが、私のすることは”撮影環境”を整えるだけで、撮影が始まれば、その動きはモデルの感性に任せるようにしている。 

なぜなら、ポージングを指示すると、モデルは自身に潜む感性を形にする必要がなくなり、在り来たりの形だけの”図”としてしまう。 そして、モデルにとっても、自らの持てる感性を形作り表現するという”喜び”を奪われることになる。そのような撮影は出来限り避けたいと思っている。 「作品」にすることを最終目的とはしているが、その過程で、表現者が”自らの魂”を形にする喜びを写真家の私と共有することが望ましいと普段から思っている。

彼女にはバレエの素養があり、体全体で表現することには長けていた。 ただ、演技の経験はないので、顔の表情づくりは苦手のようであった。 バレエの場合は、体全体で表現するわけで、顔も体の一部であり、特別な表情を求められるわけではない・・と、僕は解釈している。

「ヘソを中心に考えている」 人の体の中心は”ヘソ”にあり、基本、カメラ位置はヘソの高さに合わせるようにしている。 したがって、ヘソの写らない画像は意識しなくても撮らないようになる。 ただし、フォーカスポイントは最も写したいと思うところに合わせるようにしている。 カメラはオートフォーカスに設定しているが、焦点距離の割り出しは一点に絞っている。 カメラの性能にもよるが、漠然と肌にポイントを合わせるとカメラの側で割り出しを迷うことがあり、ボケた画像になることもある(明暗、色合いのくっきりしたヘソ、バストトップ、唇、眼などに合わせるとよい)。

背景は黒の布、ブルーの透ける生地を使っている。 体全体に生地が纏わりつくわけですから、それまでにモデルが見せたことないポージングを創ることに役立つ。 肌と生地が重なりくっ付いた部分と肌と生地は離れた部分とは微妙に写り込みが変わる。 たとえ、透けた生地であっても、布を羽織っているわけですから、モデルがより開放的になれる・・という効果がある。 もうひとつ、この撮影ではほとんど写り込んでないが、生地の上に素肌が出てきたときの写り込みと生地の向こうにあるときの写り込みに明らかな差が生まれ、画像にリアリティーを増すことになる。

ここに載せる画像は、5年間にわたり記録した画像であることから、体の変化が顕著に表れている。 尋ねたことはないが、体重にして5キロくらいの変化はあったのではないかと思う。 この画像を撮った時期は、もっとも体重が増えた時かもしれない。

このモデルさんの撮影では、ヘソを中心に撮ることが多く、頭と膝から下はアングルから外れることが多い(モデルによって、撮り方を変えている)。 私の撮影では、5時間で3000~5000ショットという”驚異的”なシャッター数になり、それも、連射機能は使ってない。 ほぼ、撮影時はシャッターを切り続けており、傍から見れば、動画に近いかもしれない。 頭と膝から下がアングルから外れるのは、セレクトする段階で起こっているものと思われる(または、トリミングで起こることもある)。

「私の撮り方」 全て逆算して撮影に臨んでいる。 モデルが決まった時点で、最終的にどのような画像にしたいかを詳細にイメージする。 また、原画をどのような段階を踏んで編集していくかを予め決めておく。 ですから、原画をどういう画像にすれば、最初にイメージした画像になるかを想定して、撮影に挑む。 これはよくあることだが、撮影中にプレビュー画面を見せると、「暗くてよくわからない画像だ・・」とモデルさんに言われることがある(モデル自身がとるポーズの確認のため)。 このように、原画で求めるような写真を撮ろうとは全く考えてない。 原画はあくまでもデータでしかないと考える。

このモデルさんの場合、その時々のよって極端にテンションが変わることがあり、戸惑ったことを覚えている。 女性には一月に四季があると言われるが、彼女の撮影時にそのことを再認識した。 機嫌の良し悪しがはっきりしてることと、集中力が途切れるときがあり、顔の表情にもポージングにもはっきり見えてくるときがあった。

この画像では、珍しく背後から撮影してるというより、背中が写っている。 このモデルさんの場合、背中を撮った写真はあるのだが、セレクトする段階で外してしまうようだ(画像を並べてみて、我ながら再認識している)。

他のページにも書いているが、モデルのポージングを止めて撮ることはほとんどない。 なぜなら、止めた瞬間に体の緊張がゆるんでしまい、”死んだ写真”になってしまうからだ。 自由な位置から撮りたいので、三脚を使うこともない。 ここにあげた画像の多くがボケているかもしれないが、その辺のことは気にしないようにしている。 ”生きた写真”にすることを最優先している。 

アングルを上手に決めようと思ったことはない。 自分が好きなアングルで切り取りたいと思うだけで、アート性のある画像であれば、顔が半分欠けようが、手がアングルからはみ出そうが、お構いなしに切り取ってきたと思う。 すべての要素を上手に収めようとすることに事態に無理がある。 優先するものがあれば、犠牲にしてよいものがあると考える・・このような考え方は、社会性においては著しく問題が多いが、これはアートの世界であり、社会性(日常)とは無縁な世界である。

この画像はFBに使いたいのでバストトップは隠しておこう!などと指示を出すことがある。 わたしのFBは何度停止になったか、何度IDを飛ばされたか、画像の削除は数えきれない。 ・・ということで、ここに載せている画像のほとんどは、FBでは「未公開の画像」ばかりである。

これはモデルの「初めてのヌード」撮影であったかもしれない。 データを調べれば分かるが、初期の作品であることは確かである。 私は○○フェチではないが、バストがしっかり写り込んだ画像が多い。 それにしても、背中側から撮った画像は極端に少ない。 

「私のイチ押しの画像」 どうでしょうか?

このモデルさんをFBでアップするようになってから、FBページのフォロアーが急激に多くなった。 それも、海外の(暇な?)オヤジもいたりして、彼女のメッセンジャーにはたくさんの迷惑メールが届いたと聞いている。 それから、モデル名をテキストに入れないようにしている。 ちなみに、フォロアーは英語圏とフランス語圏が多く、次にスペイン語圏などと続き、日本語圏は少数派になっている。 都市別にすると、パリ、東京、メキシコシティー、ローマ、マドリード、テヘラン、イスタンブールの順となっている。 最近、香港、台北が徐々に増えている。

展示の難しさを感じている。 なぜなら、PCでの見え方とスマホでの見え方が全く異なるからだ。 たぶん、スマホでご覧になる方が多いと思うので、スマホで観やすいように展示している。

写真にはそれぞれに「自分の思い入れ」がある。 編集を終えた瞬間は「これぞ最高!」と思えても、一月後に見れば”ただの写真”になってしまうことも多い。この写真はどちらなのかな?

ここのに載せてる写真の中ではもっともリアリティーがある。 まあ、現実感があるのでしょう。

仕上げた瞬間は「オレは天才だ!」と思った画像です。 今じゃ、ただの写真になってしまったが、作品の価値を決めるのは自分じゃなく、第三者に任せるのが良いのでしょうね。 キュレーションをする者がどう見るのか?聞いてみたい。

これらは、「自分好みの写真」。 左は、能面とバスト映り込みのアンバランスが面白いし、右は、私のテーマでもある、”絵画を超える写真”。

神聖な印象はありますが、偶然の賜物であり、狙って撮った画像ではない。

ほんわかした印象がありますが、偶然撮れただけで、狙って撮ったものではない。

 

ここから下の6枚の作品群は、モデルの最も得意とするポージングから得られたもの。 この辺のところは、モデルの力であり、僕はシャッターを切っていただけです。

帯を使った撮影は多くしてます。 古着屋さんに捜しにいきますが、めったに良い帯はありません。 良いというより、僕の好みの帯がないということ。

カメラの設定は、F値(1.4~1.8) を出来る限り下げ、シャッタースピードを上げることと、背景のキャンバスや屏風の地をぼかす様にしている。 ちなみに、ISOは800~1600位にしている。 出来れば、200位にしたいが、シャッタースピードが落ち、撮影が難しくなる(モデルを静止させて撮るようなことはしたくなので)。

左上の画像は「名作?」と思っている。 写真とは、とかく偶然の賜物であると考えがちだが、この作品においては「狙い通りの作品」になったと思っている。

この画像はかなり癖のある編集をしている。 エッジを立てている(意識的に輪郭を強めるようにしている)。 印象は絵画に近づくが、写真でもなく絵画でもない、「別の領域にある作品」にしようと考えている。 この編集の欠点は、著しく画質が劣化することです。 したがって、A2位の出力までしか耐えられません。

画像の展示というものはとても難しい。 ここでは、展示会と違って、縦に流してみていくことになる。 並びと左右の相性からだろうか、これは!と思って載せた画像がさほど良く見えないし、期待しない画像がけっこうよく見えたりする。

花魁をテーマに撮っているが、モデル本人は普段通りの表情をしており、シリアスさが見えてこないのは残念です。 ”絵”としては良いのですが、花魁に成り切れてません。

花魁以外の画像では、顔の表情はほとんど見えてきませんが、こと花魁の撮影に関しては、顔の表情が”勝負”になる。 そのことに関して、モデルに詳しく伝えたが、上手く伝わらなかったことを覚えている。 撮影現場でのコミュニケーションは難しいのです。 花魁を演出するというのは、役者でも難しいでしょうね。 見た目は艶やかではあるが、目は世捨て人のように死んでないといけないのです。 ・・この辺は、モデルに対する僕の要求レベルが高すぎかもしれませんが、でも、妥協するぐらいなら、作品撮りはしません。

私はカメラを手にしたとたんに、”男性”ではなくなる。 だからなのか、モデルは大胆なポーズをとるようにもなる。 この、”男性ではなくなる”ことは、ヌード撮影においてはとても重要なことで、女性を観る目線が普段の私ではなくなり、性的好奇心を超えた向こう側からカメラを構えていることになる。 左上の写真は、いつか展示会で使おうと思っている(左横から差し込むグリーンの光が美しく出ている・・編集で加えた色だけど)。

上のような画像は、空間の奥行を出そうと思ってセッティングしてますが、その奥行きが感じられません。 スタジオでは無理があり、お寺で撮りたいと普段から思ってます。 このページを見ている方でお寺の関係者がいたら、紹介してください。 近場のお寺に問い合わせてみました、いずれも断られてます。

私は、明暗でなく色彩で撮る写真家であると思っているし、色彩のある画像をより好んでいる。 だから、作品撮りをする際はモノクロでなくカラーにすることが多くなる。 編集段階において、色彩コントロールはある程度できるが、原画で撮れないと、いくら、フォトショで頑張っても限界がある。

「カラーで撮ることの難しさ」 絵画を描くことを経験したものであれば、その仕上げ段階で「トーンを整える」ことの難しさは誰でも知っている。 写真であれば、自動的に(物理的に正しく)記録してしまうのでとても厄介なことになる。 したがって、背景や衣装などの準備が至極難しくなる(スタイリストさんの助けを借りると良いのだろうが、テイストが私の趣味に合わなければ、撮影は台無しになるので、全て自分で完結するようにしている)。 撮影で最も大切にすることは「好みの空気感」を創ることだと考える(空気に色付けするように)。

ここに「花魁の画像」を数多く載せているが、花魁らしく撮れた画像はほとんどない・・アートとして見応えは十分あるが。 ストーリー性が出てこないとからなのか。 花魁に成り切って写り込んでほしいと思うのだが、僕の”意思”が伝わらなかったのか、演出が難しいのか、そのへんのところは今後の課題でもある。 「お客をとった後の倦怠感というか、やるせなさと言うか・・そういう虚しさみたいな空気感を創ろう!」というのは所詮無理なことかもしれない。 

僕を最初に”発掘”したフランスのキュレイターとは、ニースのレントハウスで数日一緒に過ごしたが、「シリアスなストーリー性のある写真」について話し合った。 僕のとった花魁の画像の中で、これはよいが、これはダメだ・・という話になった。 ポーズも含めて花魁(遊女)の表情なのです、その良し悪しの基準は。 ”艶やかな世捨て人の目”が勝負なのです。 

嗜好が入り込むことは当然としても、”性癖”が写り込むような写真は意識的に避けるようにしている。 写真家にも、作品を鑑賞する人たちにも、”性癖”と”ポリシー”との区別が曖昧になっていることが多い(写真は記録するというところからスタートしていることもあり、”現実世界”がリアルに写り込んでいるという前提があるからだろうか)。 私にとって、写真も絵画も彫刻も、ビジュアルアートとして区別することはない。